キリストの再臨は神の子につぎのような贈り物を与えた ー 神に代わって話す御声が、間違っていることは間違いであり、本当のことは決して変わってはいないと宣言するのを聞くということ。そしてこの審判によって、知覚することは終わる。先ずあなたはこれを本当だとして受け入れた世界、つまり今や訂正された心が投影した世界を見る。そしてこの神聖な光景をまえに、知覚することはその目標を達成しその使命は終わったとして、静かに祝福を与えてから消え去る。
この世界にたいする最後の審判には罪の宣告は含まれていない。それによるとこの世界は完全に許されており、罪はないし全くなんの目的もないと見ているのだから。その理由はなくなり、今やキリストの見方からすると役目もないので、この世界はただいつの間にか消滅する。それは実在しないものとして生まれ、同じくそこで終わる。そしてこの世界が始まった夢のなかの人影も共にさる。からだも今では役に立たなくなり次第に消えていってしまうが、それは神の子が無限だからである。
神の最後の審判が、この世界をあなたと一緒に地獄いきだと宣告するだろうと信じている者よ、次ぎに上げる聖なる真実を受け入れてほしい ー 神の審判はあなたのすべての過ちにたいして、神が授けてくださる訂正の御賜物であり、そんな過ちやそれがいままでもたらした結果、そのすべてからあなたは自由にしてもらえるのである。神の救いの恵みを恐れるとは、苦しみから完全に解放されて平安を取り戻し、安全と幸せ、あなた自身の真の身元と結ばれるのを恐れているにすぎないということ。
神の最後の審判は、神が御子を祝福するために定められた計画の各段階と同じく、慈悲深いものであり、神が御子と分かち合われる永遠の平安へ戻るように、と呼びかけている。愛を怖がることはない。それだけがすべての悲しみを癒し、涙をみなふきとり、神が御自分の子だと認めておられる御子の見ている苦しい夢からそっと目を覚まさせてくれる。こうしたことを怖がることはない。救いはあなたにそれを快く迎えるようにと頼んでいる。そして、この世界もあなたが喜んで受け入れることで自由にしてもらえるのを待っている。
神の最後の審判とはこれである ー 「あなたはいまでも私の聖なる子、永遠に潔白であり、永遠に愛に満ち永遠に愛されており、あなたの御創造主と同様に無限であり、絶対に変わることなくいつまでも純粋だ。だから、目を覚まして戻ってきてほしい。私こそあなたの父であり、あなたはまさに我が子である」