奇跡の道・学習書

二部・第三百十一課

 すべての物事を自分のしたいと思うように審きを下している。

 

 審きを下すことは真実に反抗するのに使う武器として作られたものである。それはその目的で使われたものを分離し、まるでそれが別のものであるかのように引き離す。そうしておいて、自分の思い通りのものにしてしまう。自らに理解できないことを審こうとしているわけだ、物事の全体を見ることができないので間違った判断をすることになるのだから。今日はそれを使わずに、ただそれを違うことに使えるお方に手渡すことにしよう。そのお方は、我々が自分自身にたいしてあれこれと審きを下したことから生じた苦悩をやわらげてくれて、神の子にたいする神の審判を我々に与えて心の平安を取り戻 させてくれる。

 

 御父よ、今日こそ我々は心を開いて待ち、あなたが愛しておられる御子にたいするあなたの審判 に耳を傾けます。我々はその人のことが分っていませんので、審くことはできません。ですから、あなたが御自分の子として創造なさった人がどんな人なのか、あなたの御愛に決めて頂くことにいたします。

 

二部【十 最後の審判とは何か】︎|第三百十二課▶︎

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