審きと愛とは正反対である。一方からはこの世界のすべての悲しみが生じる。しかしもう一方からは神御自身の平安がくる。
許すことは罪のないすがたのみ見て、審きを下そうとはしないのです。こうすることで自分はあなたのもとにまいります。審くことは自分の目を閉ざして、目が見えなくなります。しかし、ここで許すことに反映されている愛は、あなたの平安を再び見いだせる道をあなたが自分に与えてくださっていると気 づかせてくれます。この道に従うことを選ぶとき、自分は贖われるのです。あなたは自分を慰めのないままになどなさってはいません。自分のなかにはあなたの思い出と自分をそれに導いてくれるお方と、その両方あります。御父よ、今日こそあなたの御声に耳を傾け、あなたの平安を見いだすつもりです。自分自身の真の身元を愛し、そのなかにあなたの思い出を見いだすつもりなのですから。