自分の罪のないきょうだいが自分を平安へと案内してくれる。自分の罪深いきょうだいが自分を苦痛へと手引きする。そして自分が見ようとして選ぶ方を見ることになる。
自分のきょうだいとはあなたの聖なる御子でしかないのではないでしょうか。ですから、もしその人に罪があるとみたなら、自分自身を神の子ではなくて罪人だとし、恐ろしい世界のなかで一人ぽっちで友人はいないということがわかります。しかしこうした見方は自分が選択したことであって、それを手 放すことができます。あるいは自分のきょうだいに罪はなくあなたの神聖な御子だと見ることもできます。そしてこの選択をすることで、自分の罪のないすがたと、いつでも自分を慰めてくださり友であるお方がそばにいてくださること、自分の道は安全ではっきりしていることがわかります。では我が御父よ、自分のために選んでください、あなたの御声を通じて。そのお方だけがあなたの御名によって審きを下せるのですから。