すべての物事を自分のしたいと思うように見ている。
知覚は審きに従う。審きを下しておいて、それにしたがって自分が見ようと思うものを見る。なぜなら、視覚はただ自分の受け入れる気があるものを提供するのに役立つだけだからである。自分が見ようと思うものを見逃すことは有り得ないし、自分から選んで見ようとすることを見損ねることもまずない。したがって、だれであれ聖霊の目的そのものを見ることを自分の目標とする者は、自分の神聖な目で実相の世界を見るのは確実。そしてその人は必ずキリストが見せてくれるものを見るし、自分が見ているものに、キリストの御愛を分け与える。
今日、自分の目的は、自分が下したすべての審きから解放されて自由になった世界を見ることしかありません。御父よ、これこそ今日、あなたが自分のために意図なさることであり、したがって自分の目標でもあるに違いありません。