今日こそ、自分の内面を見つめることを恐れない。
自分の内面には永遠に潔白なる御存在がある、なぜならそれがいつまでも永久にそこにあるようにと神が意図なさるからである。神の子たる自分の意志は神の御意志と同様に無限であり、その自分がこれを変えようとすることはできない。自分の御父の意志を否定することは自分自身のを否定することになるのだから。内面を見つめるとは、ただ自分の意志は神が創造なさったままだとし、そのままに見ること。自分が内面を見つめるのを恐れるわけは、自分で別の本当ではない意志をつくり、それを本物にしたと思っているからだ。しかしそれには何の影響力もない。自分の内面には神の神聖さがある。自分の内面には神の思い出がある。
我が御父よ、きょう自分のとる一歩がきっと自分を無意味な罪の夢から解放してくれることでしょう。あなたの祭壇は静かで汚れのないままです。それこそ自分の真の自己へ捧げる聖なる祭壇であり、そこで自分の本当の真の身元を見いだします。