奇跡の道・学習書

一部・第七十六課

 自分はただ神の法のもとにある。

 

 我々はこれまで、いかに多くの無意味なことがあなたにとっては救いのように思えていたか見てきた。その一つひとつが、それ自体と同じように無意味な法であなたを閉じ込めていた。あなたはそんな法に縛られてはいない。しかし、このことを理解するには、先ず救いはそこにはないと悟らなければならない。それを何の意味もない物事のうちに捜そうとするうちは、自ら自分を、意味を為さない法で縛っていることになる。こうしてあなたは救いがないところに、救いがあると証明しようとしている。

 

 今日、我々はあなたがそれを証明できないことを喜ぼう。もしそれができたら、あなたはいつまでも、救いのないところに救いを捜そうとし、絶対に見いだせないことになるのだから。今日の想念がもう一度、いかに救いは簡単なことか教えてくれている。それがあなたを待ってくれているところを捜すがいい、そうすればそこでちゃんと見いだせる。それ以外のどこも捜さないほうがいい、そこ以外のどこにもないのであるから。

 

 自分を救うために自ら定めた変にねじれたおきてには少しも縛られてはいない、と認めることで得られる解放感を思ってもみるがいい。あなたは山積みになった札束や大量の硬貨を持っていなければ、ひもじい思いをさせられると本当に思っている。小丸薬や、ある液体を先のとがった注射器で血管に押し込むことで、病気や死を避けられると本当に思っている。もう一つのからだが自分の側にいてくれないと、自分は一人ぽっちだと本当に思っている。

 

 こんなことを考えるのは狂気の沙汰。そんなことをおきてと称して、何の役にも立たず何の目的もない、しきたりの長い目録のなかに、違う名前で載せている。医学とか経済学とか健康法の「おきて」に従わなければならないと思っている。からだを保護しさえすれば、救われるものと思っている。

 

 こうしたことはおきてではなくて、狂気そのものにすぎない。からだというものは、自らを傷つけている心そのものによって、絶滅の危機にさらされている。からだが苦痛を味合うのはただ、心がその心自体の犠牲になっていることを気づけなくするためである。何が本当に苦しんでいるのかを隠すために、心はからだの痛みをおおいとして使っているわけだ。そんな心は自分の敵が自分だとは理解しないし、自らを 攻撃して死を願っているとは理解できないだろう。こんなことから、自分の「おきて」はからだを救ってくれる。このために、自分はからだだと思ってしまうのである。

 

 神の法いがいには、何の法もない。このことは、あなたが自分で神の御意志に反対して作ったすべてのものに当てはまると悟るまで、何度もなんどもくりかえす必要がある。あなたの魔術には何の意味もない。それが救うことになっているものは存在しない。それが隠すことになっているものだけが、あなたを 救ってくれるのである。

 

 神の法は決して取り替えることはできない。まさにその通りだということを、我々は今日一日、喜ぶことに捧げよう。もはや、真実を隠そうとはしないでおこう。かわりに、真実こそが自分たちをいつまでも自由にしてくれると悟ることにしよう。魔術は閉じ込めようとするが、神の法は自由にしてくれる。あるのは神の法だけなのだから、光は来ている。

 

 今日の長めの実践時間は、われわれが従わざるを得ないと信じてきた色々な種類の「おきて」を手短に再吟味することからはじめよう。これには、たとえば栄養摂取の「おきて」や免疫性を与える「おきて」や薬物治療の「おきて」、そしてからだを保護するという無数の方法の「おきて」などがふくまれる。さらに考えてみると、友情の「おきて」とか「いい」関係や相互関係の「おきて」なども信じている。もしかするとあなたは、何が神のもので何が自分のものかを定めるおきてがあるとさえ思っている。 多くの「宗教」はこれに基づいてきた。そうした宗教は、天国の名によって、救うどころか地獄に落とそうとする。だが、あなたが自分を安全にするために従う必要があるとしている他の「おきて」と同様、そうしたことは奇妙ではない。

 

 あるとすれば、神の法だけである。今日は、愚かで魔法のような信念などみな払いのけ、自分の心を静めて、真実を話してくれる御声を聞き入れる準備を整えるがいい。あなたは、神の法に従えば失うものは何もないと言ってくれるお方に、耳を傾けようとしている。報酬は与えることも受け取ることもない。交換することはできないし、代用品は何もないし、何一つ他のなにかと取り替えられるものはない。神の法は永遠に与えつづけ、決して取ることはないのである。

 

 こうしたことを教えてくれるお方に耳を傾け、あなたが見たと思っていた世界を支えているものと思っていた「おきて」が、いかに愚かなことか悟ってほしい。そのあと、もう少し聞くがいい。そのお方はもっといろいろ教えてくれる。あなたの御父のあなたにたいする御愛について。その御父が差し伸べてくださる限りない喜びについて。御自分の御ひとり子、御父の創造の経路として創造されたにもかかわらず、その子が地獄を信じているために御父は否認されているという、その御ひとり子を切に求めておられることなど教えてくれる。  今日、その神の経路を神にむけて開くことにしよう、そして神の御意志を、我々を通して神へと拡張 させよう。かくして創造は無限に増していく。神の御声はこうしたことを我々に話してくれるし、神の法が永遠に限りなく保っている天国の喜びのことも話してくれる。今日の想念を、我々がちゃんと聞いて、神の法があるだけだと理解するまでくりかえすことにしよう。そのあと、自分を捧げるつもりで献呈の辞として、つぎのように自分に言い聞かせて、実践時間を終わりにする。

 

 自分はただ神の法のもとにある。

 

 我々は今日、この献呈の辞をできるだけたびたびくりかえすことにし、少なくとも一時間に四、五回はくりかえし、それと同時に一日を通じて、自分が他の法の支配下にあるような誘惑を感じたら、その答えとしてもくりかえすがいい。それは、我々はすべての危険やすべての非道な行為から解放されていると いう声明。神こそ自分たちの御父であり、神の子は救われているということにたいする感謝の辞でもある。

 

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