奇跡の道・学習書

一部・第七十四課

 ただ神の御意志があるのみ。

 

 今日の想念は、我々の全練習課題が向けられている中心的な思いだと見なすことができる。神のこそ唯一の御意志である。これに気づいたなら、あなたは自分の意志は神の御意志そのものだと気づいたことになる。葛藤がありえるという信念はなくなる。平安が、矛盾する目標に悩まされるという変な考えに取って替わる。神の御意志の表れとして、あなたには神の目標があるのみ。

 

 今日の想念にはすばらしい平安があり、今日の練習課題はそれを見いだすために向けられている。その想念自体、全くの真実である。したがって、それが錯覚を生じるはずはない。錯覚がなければ葛藤は不可能となる。こうしたことを今日、認めよう、そしてこれを認めることがもたらす平安を味合うことにし よう。

 

 長めの実践時間を始めるには、つぎのような思いを七、八回ゆっくりとくりかえしつつ、それが何を意味するか理解しようと固く決心し、心に留める。

 

 ただ神の御意志があるのみ。
 自分が葛藤を味合うはずはない。

 

そのあと七、八分間つぎのような関連のある思いをいくつか加えながら過ごす。

 

 自分の心には平安がある。
 何ものも、その平安を乱すことはできない。
 自分の意志は神の御意志。
 自分の意志と神の御意志とは一つ。

 

 神は御子が平安であることを意図しておられる。この導入段階において、もしなんらかの矛盾した思いが自分の心を横切ったら、必ずすばやくそれに対処すること。直ちに、自分自身につぎのように言い 聞かせる。

 

 ただ神の御意志があるのみ。
 こうした矛盾する思いには何の意味もない。

 

 もし一つでも矛盾を感じる部分があって、それを解決するのが特に難しく思えたら、それを取り出して特別に検討してみることだ。そのことを手短に、ただしきわめて具体的に考えてみて、それに関わりのある特定の人や人たち、その状況あるいはそれにいたるまでの事情を見きわめたうえで、つぎのように自分自身に言い聞かせる。

 

 ただ神の御意志があるのみ。
 自分はそれを神と分かち合っている。
 (   )について感じる葛藤は
 本当ではありえない。

 

 このようにして自分の心をすっきりさせた後、目を閉じて、自分の実在が権利として与えてくれる平安を経験してみるといい。その平安に浸って、それにすっぽりつつまれた自分を感じてほしい。こうした試みを、引きこもることと思い違いしたくなるかもしれないが、その違いは容易に見つけられる。もしうまくやっていれば、眠気がしたり、気力がなくなるような感じではなくて、心の底から沸き上がる喜びを感じると同時に、気持ちが一段と引き締まってくるような感じがするだろう。

 

 そうした喜びがその平安の特徴といえる。こうした経験で、自分がそれに達したことに気づくだろう。もし、自分がそれから逸れて引きこもりかけていると感じたら、すばやく今日の想念をくりかえして、もういちどやり直すがいい。これを必要に応じて何度でもすること。たとえ、自分の求めている平安を経験できなくても、そこから逃げて引きこもるのを拒否すれば、確実に得るところがある。

 

 今日は短めの実践時間を前もって決めた間隔で定期的に取ることにし、胸の中でつぎのようにいう。

 

 ただ神の御意志があるのみ。
 今日は、神の平安を求めよう。

 

そのあと、自分の求めているものを見つけようと努める。今日はこのために、三十分ごとにでも一分か二分、できれば目を閉じて過ごせば上出来だろう。

 

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