奇跡の道・学習書

一部・第七課

自分は過去のことだけを見ている。

 

 この想念は特に、最初は信じ難い。しかし、これこそ今まで述べられた想念すべての理論的根拠である。

 

 これこそ、
 あなたが見ているものには何一つ、
 なんの意味もないという理由。

 

 これこそ、
 あなたが見ているすべてのものに、
 あなたにとってどれだけの意味があるか、
 それを決めたのはあなただという理由。

 

 これこそ、
 あなたは自分の見ていることを、
 なにも理解できないという理由。

 

 これこそ、
 あなたのいろいろな思いには
 なんの意味もないし、
 ただあなたが見ているものに
 似ているという理由。

 

 これこそ、
 あなたは決して、
 あなたの思っている理由で
 気が立っているのではないという理由。
 

 これこそ、
 あなたの気が立っているのは、
 そこにない何かを
 見ているからだという理由。

 

 時間についての古い考えを変えるのはきわめて困難だというのも、あなたが信じていることはことごとく時間のうちに定着しているし、それについてのこうした新しい想念をあなたが習おうとしないでいることに依存しているからだ。しかし、まさにそれこそ、あなたが時間について新しい観念を必要とするわけである。この、初めて、という想念は実際、それを最初耳にしたときに感じるほど奇妙ではない。

 

 たとえば、茶碗をよくみるがいい。あなたは茶碗を見ているだろうか、それとも、のどがかわいたとき茶碗を手にとって飲み、茶碗のふちが唇にふれるのを感じたり、朝ごはんを食べたりした、過去の経験を思いめぐらしているだけなのだろうか。その茶碗をみて、それを識別するのも過去の経験に基づくのではないだろうか。そうでなければ、この種の茶碗は、もし落としたら割れるかどうか、どうしてわかるのだろう。この茶碗のことは、以前に習ったこと以外になにがわかるだろうか。この茶碗が何なのかは、あなたがそれまでに習ったこと以外は、まったく見当もつかないであろう。では、あなたはそれを実際に見ているといえるのだろうか。

 

 自分のまわりをよく見てほしい。こうしたことは、あなたが見ているものがなんであれ、同じように真実である。このことを、今日の想念をあなたの目にとまるものに無差別に適用してみることで、認めるがいい。たとえばつぎのように。

 

 自分はこの鉛筆に過去のことだけを見ている。
 自分はこの靴に過去のことだけを見ている。
 自分はこの手に過去のことだけを見ている。
 自分はあのからだに過去のことだけを見ている。
 自分はあの顔に過去のことだけを見ている。

 

 ある特定のものにいつまでも時間をかけないほうがいいし、ただ何一つ特別に抜かさないようにするということを覚えておくように。それぞれの対象にほんのしばらく目をやって、すぐ次のにうつること。三、四回ほど実践することにして、そのたびに一分あまり続ければ充分だろう。

 

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