自分の気が立っているのは、そこにない何かを見ているからである。
この想念にともなう練習課題は前述のぶんと、とてもよく似ている。ここでもまた、どんなかたちで気が立っているのか(怒り、恐れ、心配、憂うつ、その他)、そしてその想念を適用しようとすることのきわめて明らかな源だとみなされていること、その両方に名前が必要だ。たとえば次のように。
自分が( )に腹が立つのは、
そこにない何かを見ているからだ。
自分が( )のことを心配するのは、
そこにない何かを見ているからだ。
きょうの想念は、なんであれ自分の気を立たせるようなことに適用すれば役に立つし、一日中その目的で使えば得るところもありうる。しかし、勧められているように三、四回実践する時には、これまでと同じように、まず一分くらい心の中を注意深く捜して、気を立たせるような思いを見つけ出し、その一つひとつにその想念を適用するといいだろう。
ここでもまた、もし、いくつかの気を立たせるような思いにその想念を適用しようとして、他のに適用するとき以上に抵抗があったなら、第五課のなかで述べられた二つの警告を思い出すことだ。
気が立っているということは、
どんなかたちであれ
取るに足らないことではない。
それはみな同じように
自分の心の平安を乱す。
そして
気が立っていることが
このかたちで表れているのを
そのままにして、
他のを手放すことはできない。
では、こうした練習課題の目的のためには、
どんなかたちであれ、
全部同じだと見なすことにしよう。