奇跡の道・学習書

二部【六 キリストとは何か】

 キリストとは神が創造なさったままの神の子のことである。キリストこそ我々が分かち合う真の自己であり、我々を互いに結びつけ、神とも一つに結びつける。キリストこそ、その御源たる御心のうちに今もある御思い。キリストは御自らの聖なる住まいを離れてはいないし、もともとそのように創造された自らの潔白さを失ってもいない。キリストは神の御心のうちにいつまでも変わることなく留まっている。

 

 キリストこそあなたを神と一つに保つきずなとなり、分離状態はただ絶望的に思える錯覚にすぎないと保証する、キリストには希望が永遠にあるのだから。あなたの心はキリストの一部であり、キリストの心はあなたの一部だ。神の御答えはキリストの部分にあり、そこでは決断はみなすでになされており、夢は終わっている。キリストはなんであれからだの目が知覚することに影響されてはいない。キリストのなかには御父があなたを救う手段を置かれたとはいえ、キリストは自らの御父のように全く罪を知らない真の自己のままであるから。

 

 聖霊の居るところであり、神のうちでのみくつろいでいるというキリストは、あなたの聖なる心の天国において平安にひたっている。あなたのこの部分にのみ本当に真実性がある。残りの部分は夢。しかしこうした夢がキリストに渡されて、キリストの栄光を前にして薄れていき、あなたの聖なる真の自己、すなわちキリストがついにあなたに現われる。

 

 聖霊はあなたのうちなるキリストから、あなたのすべての夢に達して、そうした夢は聖霊のもとで真理に変えてもらうようにと勧めている。聖霊はそれを、神が夢の終りとして定められた最後の夢と交換してくれる。許しがこの世界に広がり、神の子に一人残らず平安がきたなら、なにが分離状態を保てるというのだろう、キリストの顔しか見るものはないというのに。

 

 そしてこの聖なる顔をいつまで見られるだろう、それは単に今や学習の時間は終わり、贖罪の目標はついに達せられたという象徴にすぎないというのに。ではキリストの顔を探すことにして、他のものはなにも見ないことにしよう。我々がキリストの栄光をみれば、学習したり知覚したりすること、あるいは時間にせよ、聖なる真の自己すなわち神が御子として創造なさったキリスト以外には、何も必要ないと分かってくる。

 

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