奇跡の道・学習書

二部【十一 創造とは何か】

 創造とは神のすべての御思い全体をいい、その数は無限であり、いたるところにあって、全く何の制限もない。御愛のみが創造し、ただ御愛そのものに似せて創造する。その御愛の創造したすべてが存在しなかったときはない。その御愛の創造したものがなんであれ、それが何かを失う苦しみを味合うようなときはこれからもありえない。いつまでも永遠に、神の御思いはまったく今まで通りあるがままであり、時間のあるあいだも時間が終わったあとも変わることはない。

 

 神の御思いにはその御創造主にある力をすべて与えられている。なぜなら神は拡張することで御愛を増そうとなさっているからである。かくして御子は創造を分かち合うことになり、したがって創造する力も必ず分かち合う。神が永遠に一つであるようにと意図なさったものは、時間が終わったときも一つのままとなるのであり、時間が経過する間も変わることなく、時間に関する思いがはじまる前のままで残っている。

 

 創造はすべての錯覚の産物とは反対のものだといえる、創造されたものは真実であるから。創造こそ聖なる神の子そのものである、創造において神の御意志はすべての面を完全にし、それぞれの部分に完全なものを包含させた。それが一つであるということは永遠に犯されたりしないと保証されているし、永遠に神の神聖な御意志のなかに保たれており、傷つけられたり分離したり、それの罪のないすがたに欠点やなんらかの汚点があるということは全く不可能なことである。

 

 我々こそが創造であり、神の子そのものである。自分たちは別々であるように思え、神と永遠に一つに結ばれていることに気づいていない。しかしあれこれと疑念を抱いているその反面で、恐怖心をみな通り越したところには、まだ確かなことがある。というのも御愛がそれのすべての御思いのなかに留まっているし、それの確実さはそうした御思いのものだからである、神の思い出は我々の神聖な心のなかにあるし、そうした心は自らが一つであることや自らの御創造主と一つに結ばれていると分っている。自分たちの役目はただこうした思い出を取り戻し、ただ神の御意志が地においても成されるようにし、ただ正気を取り戻し、ただただ神が創造してくださったままの自分になることとしよう。

 

 我らの御父が呼んでおられる。我々はその御声を耳にし、創造されたものをその御創造主、神聖なるお方御自らの名において許し、そのお方の神聖さを創造されたものは分かち合い、そのお方の神聖さは今なお我々にとってなくてはならない部分である。

 

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