自分の世界でキリストの見る光景を曇らせないでおこう。
自分の聖なる光景を、もしそこに自分の世界を押しつけたりすれば、自分で暗くしかねない。それにキリストの見ている神聖な光景を見ることもできない、ただしキリストの洞察力を使っていればそのかぎりではないが。知覚することは鏡に映っているようなもので、事実ではない。だから、そこに見るのは自分の心の状態がそとに反映されたもの。キリストの目を通して見ることで、この世界を祝福するつもりだ。そうすれば自分のすべての罪は許されているという、確かなしるしが見えるだろう。
あなたは暗闇から光へ、罪から神聖さへと導いて下さいます。自分が許すことで、この世界のために救いを受け取らせてください。我が御父よ、それこそあなたの賜物、それは聖なる御子が再びあなたを思いだし、あなたが創造なさったままの御子だとの記憶がとり戻せるようにと、その人に差しのべるために自分に与えられています。