今回の復習には、毎日ただ一つの想念を用いて、できるだけ頻繁に実践する。朝晩の復習に割く時間は少なくとも十五分以上とし、それ以外にも一日中、一時間ごとにその想念を思いだし、その合間にもできるだけたびたびそれを使うようにするといい。こうした想念だけでも、それを本当に自分のものにしさえすれば、十分救いのにためになる。その一つひとつが、あなたとこの世界をありとあらゆるかたちでの束縛から解きはなち、ふたたび神の思い出にひたらせてもらうには十分である。
こうしたことを覚えておいて、実践を始めることにし、その間、聖霊が最近の二十の課題として与えてくれた思いを念入りに復習する。そうした思いを理解し実践し受け入れて、一日のうちに生じるように思える出来事にすべて適用しさえすれば、その一つひとつに全履修過程が含まれている。一つで十分である。しかしその一つから、決して例外を作らないようにすること。そして、それぞれが我々の学習全体に役立つので、それを全部つかって、一つに融合させる必要がある。
こうした実践時間は、前回の復習のように、ある主題を中心にしており、それを各課の初めと終わりにつかう。その主題とはこれであるー
自分はからだではない。自分は自由である。
今なお神が創造してくださったままの自分であるから。
一日をこれで始め、これで終える。そして一時間たつごとにそれをくりかえし、その間、我々には自分の目にする世界を越えた役目があることを思い出す。これとその日に実践する特別な思いをくりかえすこと以外には、これといったかたちで練習するようにとは勧めないが、心を乱したり、道理や正気や簡単な真実に耳を貸そうとしなくさせるものをことごとく、心底から放棄することだけは勧める。
このたびの復習では、言葉や特別なかたちでの実践をすべて越えるよう試みることにしよう。このたびは平静と神の平安へと、近道にそって足早に達するようにと試みるのであるから。ただ目を閉じて、自分が知っているし、よく分っていると思っていたことを全部忘れよう。こうすることで、自分が知らなかったしよく分っていなかったこと、そのすべてから自由になれるのである。
このように組織立ってしないことにたいして、例外が一つだけある。それは、無駄な思いを疑わずにそのままにしないこと。もし、そんな思いに気づいたら、それにとらわれることなく、すばやく自分の心にこんな思いを持ち続けるつもりはないと言い聞かせるがいい。そのあと、そっと自分が拒んだ思いを去らせ、すぐその日実践することになっている想念と確実に交換することである。
惑わされたときには、すばやく次のように言って、自分は誘惑に負けていないことを示すといいー
こんな思いを自分は望んではいない。
その代わりに選ぶのは、、、、、。
といいながらその日の想念をくりかえし、自分が思っていたことに取って変えさせることである。このようにその日その日の想念を特別に適用するいがいには、ただ実践の助けになる決まった表現や特定の思いをいくつか付け加えるだけにする。そのかわり、こうした静かな時間を、穏やかに教え平安について話し、我々の思いになんらかの意義を与えてくれる御教師に捧げよう。
私はその御教師に、このあなたのための復習をさしだす。そのお方にあなたのことを任せるので、あなたがそのお方を頼りにするごとに、自分は何をし何を言い何を思ったらいいのか教えてもらうといい。あなたが助けを求めるたびに、それに応じてもらえないということはないだろう。我々がこれから始める復習を全部そのお方にささげることにし、日々の実践をするにつれ、それがどなたに渡されているのかも忘れないようにして、そのお方に決めてもらった目標にむかって進むにつけ、どのように行けばいいのかは、実践時間をとるたびにこの世界が解放されるという素晴らしい贈り物となる一番いい方法を、そのお方に教えてもらえるものと完全に信用することである。