奇跡の道・学習書

一部【復習五】序論

 ここでまた復習することにしよう。我々はこのたび取りかかることに、今まで以上に努力し時間をかける準備ができている。もう一段階、理解を深めるために用意を整えようとしている。この一歩を完全なものにするつもりなので、今まで以上の確信と誠意をもち、より確かな信念に支えられて再び進んで行けるであろう。今までの足跡は揺るぎないものだったとは言えず、この奇跡の道の教えが定めた道程を疑い、不安を抱きつつゆっくりと歩いてきた。しかしこれからは急ぐことにする、大きな確信と断固たる目的と確かな目標に近づいているのであるから。

 

 我が御父よ、我々の足もとを安定させてください。我々の疑う気持ちを静め、神聖な心を落ち着かせ、お話ください。我々にはあなたに捧げることばはありません。ただあなたの御言葉を聞いて、自分たちのものとするつもりです。我々の実践することを、幼子が自分には理解できない道を歩もうとするとき、その手を取って進む父親のように、お導きください。その子はちゃんとついていきます。父親が自分を先導してくれるので、安心だと確信して。

 

 同じように、もし道を忘れても、あなたが確かに覚えていてくださると頼りにします。わき道にそれたら、忘れずに呼び戻してくださることでしょう。これからは足どりを速めます、そうすればもっと確実に、そして早くあなたのもとへと歩いていけるでしょう。そしてあなたが授けてくださった色々な思いを復習するにつけ、我々の実践することを統一させるために、差し伸べてくださる御言葉を受け入れます。

 

 つぎにあげる思いを、我々が復習する色々な思いの前置きとしよう。それぞれの思いはただ、この思いのある側面を明らかにしたり、我々が分かち合っていることとはいえ、これからもう一度分かるようになる準備をする神聖な真の自己を、もっと有意義で、自分にとって本当だと言えるものにしたり、もっとはっきり描写するのに役立つ。

 

 神は御愛であるのみ、
 だから自分もそうにちがいない。

 

 この真の自己だけが愛を知っている。この真の自己だけは自らの思いに全く矛盾がないし、自分の御創造主を知り自分自身を理解し、自らの知識と愛は申し分ないものだし、御父と自分自身が絶えず調和している状態は決して変わることはない。

 

 そして旅路の終わりで待ち受けてくれているのがこの真の自己である。一歩進むたびに少しずつ近づくことになる。もし我々が、これこそ我々の目標であり、実践するにつれてこれに近寄っているのだということを心に留めておけば、この度の復習が計り知れないほど時間を縮めてくれるだろう。これが我々には約束されており、この奇跡の道の教えは我々に明るい通路を開くために送られてきたのであり、どのようにすれば失ったものと思っていた永遠の真の自己へと戻れるのか、一段階ずつ教えてくれるということを覚えておいて、胸の中の思いを死から生へとよみがえらせようではないか。

 

 私があなたと一緒に旅をする。しばらくの間、あなたの疑念や恐れを分かち合うので、恐れや疑念にすべて打ち勝てる道を見分けられる私のところへ来る気になるかもしれないから。我々は共に歩んでいる。私には不安や苦痛はなんの意味もないと分かっているとは言え、そうしたことを理解しなければならない。しかも誰かを救おうとする者は、自分が教えている相手と一緒にいて、その人たちが見ていることを見る必要がある。ただし自分の心のなかには自分を連れ出してくれた道のことを覚えておいて、今度はあなたを一緒に連れ出すつもりだ。神の子は、あなたが私とその道にそって歩くようになるまで、はりつけになっている。

 

 無事に旅路が終わり、忘れ去られるところまできょうだいを導くたびに、私はまた復活する。惨めな思いと苦痛から抜け出す道がある、ときょうだいに分かるようになるたびに、私は心を新たにする。きょうだいの心が自分のうちなる光のほうにむいて、私を捜そうとするたびに、私は生まれ変わる。私はだれ一人忘れてはいない。今こそ旅路が始まったところまであなたを連れ戻そうとする私の助けになって、もう一つ別の選択を私と一緒にしてほしい。

 

 あなたにとって本当に必要なことを見て、神から授かったその答えを知っているお方から、私があなたにとどけた色々な思いを再び実践することで、私を解放してほしい。一緒にこうした思いを復習しよう。一緒に我々の時間と努力をそのためにささげよう。そして一緒にそれをきょうだいたちに教えることにしよう。神は天国と不完全なままにしておくようなことはなさらない。天国はあなたを待っているし、同じように私も待っている。私のなかにあなたがいなければ、私は完全ではない。私が完全になったとき、我々は一緒に自分たちの昔ながらの生家へと向かう、そこは時間がはじまる前から準備されており、時間によって変わることはないし、清らかなうえに安全で、いつか時間が終わったときにはそのままある。

 

 では、この復習をあなたから私への贈り物にしてもらいたい。私に必要なのはただ、あなたが私の話す言葉を聞いて、それをこの世界に伝えること、それだけだから。あなたは私の声であり、目であり、手足であって、それによって私はこの世界を救うのである。私が真の自己からあなたに呼びかけるという、その真の自己はあなたのものにすぎない。その真の自己にむかって、我々は一緒に進む。あなたのきょうだいの手を握るがいい、これは一人で歩む道ではないのだから。その人を通して、私はあなたと歩み、あなたは私と歩むことになる。我々の御父は御子が御自分と一つになるようにと意図なさっている。では、あなたと一つではないと言える命が何かあるだろうか。

 

 この復習を、あなたにとって新しい経験を分かち合う時としよう、とはいえそれは時間と同じくらい、いやそれよりもさらに古いものだ。あなたの名はあがめられている。あなたの栄光は永遠に汚されてはいない。それにあなたの完全なすがたは、神が定められた通りに今や完了している。あなたは神の子であり、神を拡張することを、自分自身を拡張することで完了する。我々はただ、錯覚がこの世界を奪うように思える前から知っていた、昔ながらの真実を実践するにすぎない。そして我々がつぎのように言うたびに、この世界のすべての錯覚から解放されているということを思い出させる。

 

 神は御愛であるのみ、
 だから自分もそうにちがいない。

 

 毎日の復習をこの思いで始める。実践するとき、それぞれの時間をこれで始め。これで終える。そしてこの思いを胸に眠り、またこの同じ言葉を口にしながら目覚め、新しい一日をむかえる。我々が復習する思いをどれもみなこれで囲み、そうした思いを使ってそれを自分たちの心に気づくやすくし、一日中それをはっきり覚えておく。こうして、この復習を終えたときには、我々が口にするこの言葉は本当だと認めるようになるであろう。

 

 しかもそうした言葉は補助にすぎないが、実践時間の始めと終わりで使うだけでなく、その目的のために必要に応じて心に思い起こすがいい。我々は、自分たちの使う手段ではなくて、実践することから生ずる経験を信頼することにしよう。そうした経験を待って、そこにのみ確信を見いだせることに気づく。そうした言葉を使って、それを越えてそれが意味することに達しようと何度もやってみるが、それはそうした言葉の響きをはるかに越えている。その響きは、我々がその意味の御源に近づくにつれて徐々に聞こえなくなりやがては消え去る。その御源においてこそ、我々は安らぎを見出すのである。


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