奇跡の道・学習書

一部・第九十三課

 光と喜びと平安は自分のうちに留まっている。

 

 あなたは自分こそ邪悪と暗闇と罪の本元だと思っている。もしだれかがあなたの本性を見ることができたら、その人は不快感をおぼえて、まるで毒蛇にでも出くわしたかのように、自分から身を引くことだろうとも思っている。もし自分について本当のことを明らかにされたら、強烈な嫌悪感におそわれ、そんなことを見たあと生き続けることは不可能だとして、自分の手で死に急ごうとさえするだろうと思っている。

 

 こうした信念に凝り固まっているので、そんなことには何の根拠もないということをあなたに分らせるのは難しい。あなたが間違っていることは明白だ。奇妙な方法で救いを探し求めてきたこと、騙されたり騙したり、ばかげた空想や獰猛な夢に恐れを抱いていること、土くれで作られた偶像に服従してきたこと、こうしたことはみな、今あなたが信じていることからすれば本当のことだと言える。

 

 今日、我々はこのことに異議を唱える、しかもあなたが思っている観点からではなくて、それとはかなり違った論点から論議してみよう、その論点からすればそんなあなたの無駄な思いなど無意味なものとなる。そんな思いは神の御意志に調和しているとはいえない。神はそんな変な信念をあなたと分かち合ってはいらっしゃらない。そんな信念は間違っているということを証明するにはこれで充分だが、あなたはそのように知覚してはいない。

 

 自分でしたと思っている邪悪なことはどれも全く行なわれてはおらず、自分の罪はすべてなんでもないことだし、自分は創造されたときのように純粋で神聖なままであり、光と喜びと平安が自分のうちに留まっていることまで、こうしたことはみな確実だといわれて、どうして大喜びしないでいられるだろう。あなたが思い描いている自分のすがたは神の御意志に逆らうことはできない。あなたは、これは死だと思っているが、それこそ生きること。滅ぼされたと思っている が、救われているのである。

 

 あなたが作り上げた自己は神の子ではない。したがって、この自己は全く存在しない。そして何であれそれがしたり、思ったりしているように見えることにはなんの意味もない。悪いことでもなければいいことでもない。それは実在しないこと、それ以外のなにものでもない。それは神の子と戦ったりしない。その神の子を傷つけることもなければ、その人の平安を攻撃することもない。創造されたものを変えてはいないし、永遠に罪のない状態を罪にしたり、愛を憎しみに変えてもいない。こんなあなたの作った自己が神の御意志に矛盾するものなら、それにどんな力を持ち得るというのだろうか。

 

 あなたに罪はないということは神に保証されている。このことは何度もなんども、受け入れられるまでくりかえさなければいけない。それは真実である。あなたに罪はないということは神に保証されている。何一つそれには手が出せないし、神が永遠なるものとして創造なさったものを変えることもできない。あ なたが作り上げた自己、邪悪で罪だらけの自己にはなんの意味もない。あなたに罪はないということは神に保証されているし、光と喜びと平安はあなたのうちに留まっている。

 

 救いに要するのは、ただ自分は神が創造してくださったままであり、自らでっち上げた自分ではないという思いを、受け入れることである。自分でどのような邪悪なことをしたと思っていようと、あなたは神が創造してくださったままのすがただ。どのような間違いを犯していようとも、あなたについての真実は変わっていない。創造は永遠であり変更できないもの。あなたに罪はないということは神に保証されている。あなたは今も、そしてこれからもずっと全く創造されたときのまま。光と喜びと平安はあなたのうちに留まっているというのも、神がそこに置いてくださっているからである。 今日の長めの練習時間は、もし目覚めている間中、一時間ごとに最初の五分間をそれにあてることにすれば最も有益だといえるのだが、その時間をあなたが創造されたことについての真実を述べることからはじめるがいい。

 

 光と喜びと平安は自分のうちに留まっている。
 自分に罪はないということは
 神に保証されている。

 

そのあと、自分で思い描いた自分のばかげたすがたは押しやって、残りの実践時間は自分で自分のことと定めたことの代わりに、神が授けてくださったことを経験するよう努めるがいい。

 

 あなたは神が創造なさったものか自分でつくったものか、そのどちらかだ。真の自己は本物だが、もう一つのは存在しない。自分の真の自己は統一されているということを経験しようとやってみるといい。その真の自己の神聖さとそれを創造された御愛の真価を認めようと努めることってみるといい。その真の自己の神聖さとそれを創造された御愛の真価を認めようと努めることだ。神は真の自己をあなたとして創造なさった、その真の自己の荘厳さを、あなたがその代わりにしようとして作った、邪悪で罪深いちっぽけな偶像の数々の後ろに隠して、真の自己の邪魔をしようとはしないほうがいい。その真の自己をそれに属するものに入らせることだ。さあ、この真の自己こそあなただ。このことは確かにその通りだからこそ、光と喜びと平安はあなたのうちに留まっているのである。

 

 あなたは一時間ごとに最初の五分間をこうした練習に使う気になれないし、使えないかもしれない。しかし、できるときにはやってみることだ。少な くとも、一時間ごとにつぎのような想念をくりかえすのを覚えておくといい。

 

 光と喜びと平安は自分のうちに留まっている。
 自分に罪はないということは
 神に保証されている。

 

そのあと、少なくとも一分ほど目を閉じて、これは自分についての真実の声明であるということを悟るために、専心することである。

 

 もし心を乱しそうな状況が生じたら、こうした想念をもう一度くりかえして、すばやく恐ろしい錯覚を払いのけるといい。だれかにたいして腹が立ちそうになったら、静かにその相手につぎのようにいうこと。

 

 光と喜びと平安はあなたのうちに留まっている。
 あなたに罪はないということは
 神に保証されている。

 

あなたは今日、おおいにこの世界の救いのためになれる。神が任命なさった救いの役割に自分を近づけるために、今日おおいに役立てる。そして今日、この日の想念はたしかに真実だと自分の心に確信をもたらすためにおおいに役立てるのである。

 

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