自分には中立の思いはない。
今日の想念は、自分の思いにはなんの影響力もないという信念を払いのけるための最初の段階である。あなたが目にしているすべてのものは、あなたの思いが及ぼした結果。この事実にはなんの例外もない。思いというものは大きくもなければ小さくもないし、力強くもなければ弱々しくもない。本当か本当ではないか、ただそれだけのこと。本当の思いはそれに似たものを創造する。本当ではない思いはそれに似たものを作りだすのである。
「無益な思い」という概念ほど自己矛盾しているものはない。全世界を知覚する因になったものを無益と呼ぶことはどうみてもできない。あなたの抱く思いはことごとく、真理の一因となるかそれとも錯覚の一因になるか、それが真理を拡張するかそれとも錯覚を増やすことになるか、そのどちらかである。あなたは確かに実在しないものを増やすことはできるが、そうすることで拡張することにはならない。
思いというものは決して無益ではないと気づくことと、もう一つ救いには、あなたが抱く思いはことごとく平安か戦いあるいは愛か恐れ、そのいずれかをもたらすということにも気づくことを要する。中立の思いというものは有り得ないので、中立的な結果も有り得ない。恐ろしいという思いは重要ではないとか、ささいなことで苦にするほどのことではないと言って、考えずにおこうとしたくなることもあるが、そうしたことはみな同じように破壊的だと気づくことが大切だ、しかしどれもみな本物ではないと気づくことも非常に大切である。この想念をいろいろなかたちで実践することにする、そうすればあなたにもそれが本当によくわかってくるだろう。
今日の想念を適用するときには、目を閉じて自分の心のなかを注意深く一分ていど探してみて、容易に見逃してしまいそうなどんな「小さな」思いも見落とすことのないように、積極的に探すこと。こうすることは、それになれるまではかなり難しい。不自然な区別をしないようにするのは、まだ難しいことだと思えるだろう。あなたが思いつくことはどれもみな、自分でそれにどんな特性を割り当てようが、それには関わりなく、今日の想念を適用するのに適した対象である。
実践時間中には、先ずその想念を胸のなかでくりかえし、そのあと自分の心を横切る思いを一つひとつ自覚しながら、つぎのように自分に言い聞かせる。
この( )についての思いは
中立の思いではない。
あの( )についての思いは
中立の思いではない。
いつものように、不安を生じさせるような特別な思いに気づいた時は、いつでも今日の想念を使ってみるがいい。この目的にはつぎのようなかたちで使うことを勧める。
この( )についての思いは
中立の思いではない、
自分には中立の思いなどないのだから。
実践時間は、もし比較的楽にできると思えたら、四、五回もつことを勧める。もし緊張するようなら、三回で充分だろう。練習時間の長さも、もし不安を感じるようなら、短くするほうがいい。