奇跡の道・学習書

一部・第百七課

 真実は自分の心のなかの過ちをすべて訂正する。

 

 錯覚を訂正できるのは真実だけではないだろうか。それに過ちとは、錯覚であることが錯覚とは気づかれないままになっているにすぎないのではないだろうか。真実が明らかになったら、過ちは消え去る。ただ突然見えなくなり、思いだそうにも何の跡も残さない。それがなくなるというのは、信じるものがいなければ、それには命などないからだ。こうしてそんなものは無に帰し、もとへ戻る。ちりからきてちりへと帰るようなもの、真実だけが残るのであるから。

 

 錯覚のない心の状態とはどんなものか想像できるだろうか。どんな感じがするのだろう。思い出してみるといい、一分いやそれ以下かもしれないが、 あなたの平安を妨げるものが何一つなかった時のこと、自分は愛されていて安全だと確信していた時のことを。そのあと、そうした一瞬が時間の終わりまで、そして永遠に続いたとしたらどんな気がするか思い描いてみるがいい。つづいて、自分が感じた穏やかな気持ちを百倍にしてみて、またもう一度それを百倍にしてみることである。

 

 そうすれば、真実が訪れたときにはあなたの心に安らぎがあるという状態が、ほんのかすかにではあるが、なんとなくわかるだろう。錯覚がなければ、恐れも疑念も攻撃もまったくありえない。真実が訪れたら、全ての苦痛は終わる、あなたの心にはつかの間の思いや死んだ想念がいつまでも残っている余裕はないのだから。真理はあなたの心を完全に占め、はかないものを信じることから全面的にあなたを解放する。真実であるものが訪れたからには、そんなはかないものの居場所はないので、そんなものはどこにもない。それを見つけることはできない、今や真実がいたるところにいつまでもあるのだから。

 

 真実が訪れたときには、しばらくのあいだ留まってから消え去るとか、何かほかのものに変わるようなことはない。それはそのかたちを移し変えたり部分的に変更したりすることはないし、訪れては去り、去ったと思えばまた訪れるようなこともない。それは全くいつもの通りで、どんな時にも頼りになるし、この世界が呈する外観にすぎないことによって、困難や疑わしいことが生じたように思えるときにも、何一つ心配せずに任せておける。真実があなたの心のなかの過ちを訂正したなら、そんなことは吹き飛ばされてしまうだけである。

 

 真実が訪れたときには、その翼の中に、この上ない恒久性という賜物と、苦痛に直面してもひるむことなく、それを越えてしっかりと確かに見つめる愛を抱いている。ここに癒しの賜物がある、真実であることは防衛を必要としないので、攻撃は不可能であるから。錯覚は真理へともたらして訂正できる。だが、真実は錯覚をはるかに越えており、それを錯覚にもたらして、錯覚を真実に変えることはできないのである。

 

 真実は訪れては去るということはないし、移ることも変わることもないし、今はこのすがたで現われつぎは他のすがたで現われるとか、捕らわれないように避けたり、把握されないように逃げ回ったりするということもない。隠れようとはしない。明るい光のなかにあり、すぐに近づける。だれかがそれを本気で求めて、うまくいかないということは不可能だ。今日は真実のものである。当然真実に与えられるべきものを与えるがいい、そうすればそれが当然あなたに与えられるべきものを与えてくれる。あなたは苦しんで死ぬことになってはいない。御父はこんな夢が消えることを意図なさっている。こんなことはみな真実に訂正させるがいい。

 

 我々は自分の持っていないものを求めるのではない。自分に属するものを、たしかに自分のものだと認めるためにそれを求めるだけである。今日、我々は真理から生まれた確実なものにともなう、嬉しい気配を感じつつ実践しよう。今日は、錯覚にともなうような、ぐらついて不安定な足どりでは取りかからない。我々が成功するということは、自分たちが確かに生きており希望を持っているし、息をし考えているというのと同じように、確実だ。我々は今日、真実とともに歩むことを疑わず、それがこの日我々が行なうすべての練習課題にいえることを期待しよう。

 

 これに取りかかるにつけ、まずあなたと一緒に行ってくれるお方に、その存在を自覚させてほしいと頼むことだ。あなたは肉と血と骨でできているのではなく、そのお方にも同じく命の賜物を授けられた、そのまったく同じ御思いによって創造されたのである。そのお方はあなたのきょうだいたるお方、だからあなたに似ており、御父はあなたたち二人は同じだと分かっておられる。あなたが一緒に行ってほしいと頼むのはあなたの真の自己なのだから、そのお方があなたのいるところにいないわけがない。

 

 真実は、あなたの心のなかの過ちが、あなたがその真の自己と離れることはありえると言おうとすると、それをみな訂正するだろう。今日こそ、真の自己に話しかけ、その真の自己の役目を、自分を通して果してもらうと固く約束するがいい。真の自己の役目を分かち合うとはその真の自己の喜びを分かち合うこと。真の自己は、つぎのように言うあなたに確信をもっている。

 

 真実が自分の心のなかの過ちを
 みな訂正してくれる、
 だから自分の真の自己に望みを
 託すことにしよう。

 

そのあと、真の自己にそっと真実へと導いてもらうがいい、その真実があなたを包み、深い穏やかな平安を与えてくれるので、あなたは住み慣れたこの世界にはしぶしぶ戻ってくるだろう。

 

 とはいえあなたは喜んでもう一度この世界を見てみることだろう。あなたと一緒に行くことになっている真実が、この世界に数々の変化をもたらすという約束を、あなたは携えているのだから。そうした変化は、あなたがわずか五分間の贈り物をするたびに増していき、その世界を取り巻く過ちは、あなたが自分の心のなかでそれを訂正させるにつれて訂正されることになる。

 

 今日こそ、あなたの役目を忘れないでほしい。あなたが自分自身に「真実は自分の心のなかの過ちをすべて訂正する」と、自信を持っていうたびに、 全世界と、あなたを自由にするつもりなのでその世界も解放するつもりでいるお方に代わって、話すことになるのである。


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