奇跡の道・学習書

一部・第十課

 自分の思いにはなんの意味もない。

 

 この想念は、あなたが気づいている思いとか実践しているときに気づく思い、そのすべてに当てはまる。その想念をあなたの思いぜんぶに適用できるという理由は、そうした思いはあなたの本当の思いではないからである。我々は前にもこの区別をしたことがあるし、またすることもあるだろう。あなたには今のところ、それを比較するための根拠がない。その根拠が分かったら、あなたがかつて自分の思いだと信じていたことには、なんの意味もなかったということを、少しも疑おうとはしないだろう。

 

 この種の想念を使うのはこれで二度目。かたちがすこし違うだけだ。この度は、その想念が「こうした思い」というかわりに「自分の思い」で始まっており、自分のまわりのものとは明白なつながりはつけてない。ここでは、あなたが自分の思いだと思っていることには、真実性が欠けていることを強調している。

 

 訂正過程のこの側面は、あなたが気づいている思いは無意味であり、内面的というより外面的なものだし、そのうえその現状よりも過去のことに重きが置かれているという、想念から始まった。こんどは、そうした「思い」が在るということは、あなたが考えてはいないという意味であることを強調している。これはたんに、あなたの心は、本当は空白だ、と前に述べたことを他のいいかたでくりかえしているにすぎない。こうしたことに気づくということは、あなたがその通りだと思っているときには、実在しないものに気づいているということだ。それ自体、洞察力を得るための必要条件といえる。

 

 こうした練習課題をするときには目をつむって、きょうの想念をかなりゆっくりとくりかえすことから始めるがいい。そのあと次のように付け加える。

 

 この想念は、
 自分がいま信じているすべてのことから、
 解放される助けになる。

 

 練習課題そのものは、前と同じように、自分の心のなかで利用できるすべての思いを、選択したり判断したりすることなく、注意深く捜してみること。どのようにであれ、分類するのは避けたほうがいい。それどころか、もし役に立つと思えば、釣り合いの取れていない行列が通りすぎるのを、見物している自分を想像してみるといいかもしれない、しかも通りすぎていくものは自分には個人的にほとんどなんの意味もない。一つひとつの思いが自分の心を横切るたびに、つぎのように言うがいい。

 

 (   )についての
 自分の思いにはなんの意味もない。
 (   )についての
 自分の思いにはなんの意味もない。

 

 今日の思いは、あなたを悩ますような思いにたいしていつでも役に立つことは明らかである。そのほかに、五回ほど実践することを勧めるが、そのつど一分ほど心のなかを注意深く捜す必要がある。この時間をのばすことは勧められないし、もし不安を感じたら、三十秒かそれより短くするべきだろう。ただし、覚えておいてほしいのは、それに適用する前にはっきりとその想念をくりかえすこと、それから次のように付け加えてほしい。

 

 この想念は、
 自分がいま信じているすべてのことから、
 解放される助けになる。

 

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