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人生の午後を生きる

この自分が本当の自分じゃないなんて一体誰が思っただろう。
私だってそうだ。
私は私、そう思っていた。
そして、「私は私」、その私で苦しんでいた。

「奇跡のコース」が教えてくれたのは、その私は私じゃないよ、ということだった。
私が自分だと思っていた自分は自分じゃないんだと。

私の大好きな映画 「ザ・シフト」 の中で、ある時、人は人生の午後にさしかかる、と言っている。

人生の午前とは自我に従って生きる時間であり、人生の午後とは本質的自分に回帰して生きる時間。

「人生の朝の真実は人生の午後の偽り」

なのだという。
この言葉が染みる。

人生の朝の真実は、自我の主張するものであり、自他分離し、常にそこには比較があり、比較の上で成り立つ他者と自分の違いで優劣を決めながら生きる。
いい悪い、正しさや間違い、立派やそうではないもの、そうしたものが常にあり、自分は常にそのどちらかの属性を持ってる。

人生の午後の真実は、自分が何者かを知り、自分がやってきた源を知り、外側のものにとらわれない本質的自己が求める道を生きることにより、導かれて生きる。
私たちは無条件に愛。

それぞれのタイミングで人生に「シフト」が起こる。
私達はそれまでと全く違う価値観で生き始める。
それが人生の午後。
そこで私たちは真理を知る。

人生の午後の最大の特徴は、大いなる力が働きかけることだ、と映画「ザ・シフト」は言う。
この映画、人生の岐路に立っていると感じる人、自分がわからなくなっている人、うまくいかない何かに苦しくなっている人に、ぜひ観てほしい。

人間だから、たとえ、人生の午後にさしかかっても自我はある。
ただ、もう、人生の朝の真実が偽りだと知った後なので、自我が騒ぎ立て、一瞬その声に誘惑され、人生の午後にいることを忘れてしまっても、私達はすぐ戻ってこられるようになる。

やがて自我の声は小さくなり、私達は本質的自己を生きる時間が増えていくのだろう。
そこでは奇跡が起こり続ける。

この私は本当の私ではない、初めてそんなことを聞いたらもしかしたら、とても恐ろしく感じるかもしれない。
戸惑い混乱するかもしれない。
じゃあ、私は誰なの?って。

その問いさえも自我の声。
自我はすべてを理解し把握し、コントロールすることを望む。
そうしないと不安だからだ。

人はその人にとっての最高のタイミングでシフトする瞬間を迎える。
失敗、どん底、そう思える出来事も時期も、すべてはそこに辿り着くための過程として存在することを、私は身をもって感じている。
渦中にいる時はそんなことを思う必要もないし、思えるはずもない。
感情的になり、きーきー金切り声を上げ、嘆き、怒り、困惑し、絶望する。

それでも、人は必ず導かれる。

私だって今もそう、いつも自我の声に誘惑されて、恐れや不安に取り込まれる。それが真実だと思い込んで振り回され、現実を苦しいものにしてしまう。

そして、ある瞬間何かに導かれるようにして訪れるものが私に思い出させる。
それは自我であって私ではないんだ、と。
その時、奇跡は起こる。

今、その作業をひたすら繰り返しながら、何度も何度も奇跡を見せてもらっている。

人間だからすべては自我で始まる。
大切なのは何で終わるか。

「奇跡コース」が教えてくれたこと、この自分が本当の自分じゃないってこと、最初は「は?」って思った。
コースを、読んでも、読んでも、さっぱり意味がわからなかった。
文字ばかりで眠くなって読み進められなかった。

その時わかる必要もなかったのだと今になって思う。

必要な時間をかけて人は人生の午後を生きるようになる。
それは特別な人に訪れるものではない。
誰にでも、必ず。

わけもなく心が震えて涙が流れたことはあるだろうか?
誰かとの出会いで自分の中の大切な何かに気付いたことはあるだろうか?
偶然に目にした、手にした何かで、欲しかった答えを手に入れたことはあるだろうか?
荒れ狂っていた感情が過ぎ去って、何も変わっていないはずなのに、穏やかな気持ちになったことはあるだろうか?
空が、花が、木々が、美しいと、風を心地よいと感じたことはあるだろうか?

そんな時、私達はすでに導かれている。

源に触れる時、心は穏やかで安らかで、そして、あたたかい。
魂に触れることで心震える涙が流れることもある。
その感覚を知ってしまったら、もう二度と人生の朝には戻れない。

私達は、もう、みんなすでに、人生の午後にさしかかってるんじゃないかしら?

   

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