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心の闇をなくすために

心が晴れない時、もやもやする時、つらい時、何かで思い悩む時、イヤだなーって思う。こんな気持ちイヤだなーって。つらいことがあってこそ人は成長するとか言うけど、やっぱりイヤだ。前向きにとらえられない。

そして、そんな後ろ向きなまま私にできることは、自分と同じようにこの世界で苦しい人の心がどうか癒されますように、と祈ること。そんな人が楽になりますようにと祈ること。きれいごと抜きにみんなが楽になったらいいな、ってそんな時思う。

光と闇の話。

光と闇、どちらもあるように思えるけど、本当は闇はないそうだ。では闇とは何か。

闇とは光が当たっていない部分

をそう呼ぶのだという。

「闇」というもの自体存在せず、ただ光が当たっていないそれだけなのだそうだ。光を当てると闇は自動的に消滅する。闇をなくそうとしなくとも、ただそれだけの話。

私たちは常日頃、恐れや不安に絡め取られることがある。

実は、恐れって神が創ったのではないそうだ。 (これを知った時はびっくり)
私たちが自分で作ったもの。だから神は恐れをなくすことができない。創ってないからね(笑)

つまり本当は「ない」。

神が介入できるのは神が創ったものだけ。

神が創った(create)ものは実在し
私たちが作った(make)ものは非実在

神からしたら、私たちが作ったものは

「ない」から どうすることもできないんだ。

神は私たちを創ったけど、私たちの肉体やこの世界は作っていない。ゆえに「ない」から関与できない。神が創ったのは、 私たちのスピリットだけなのだよね。

そんな私たちの恐れは光と闇の話に例えられる。闇は本当はなくて、光が当たっていないだけで、光を当てれば闇は自動的に消滅するなら

ガ━━Σ(゚Д゚;)━━ ン

とか

((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

みたいな

私たちの恐れや不安は闇であり、光を当てれば自動的に消滅するということだよね。そうなると

光を当てるって?

ってなるね。

逆に言えば

闇をいじらない

ってことにもなると私は思う。闇をなんとかしようとこねくり回すのは、自分たちが作ったこの世界のなんらかの手段であり、それはあくまで闇があるという本当じゃないことが前提になってて

ないものをなんとかしようとするんだから
実はなんともならない(笑)

なんとかなったような気がすることもあるけど、実際にはないものを、ないものでなんとかしたようなそんな錯覚の中にいる。

だから、光を当てるだけ。光が当たっていない部分が闇なのだから、当然光が当たるとそれは自動的に消滅するよね。

その光を当てる、とは、神が創ったものでいること。いわゆる「本当の姿」スピリットでいること。

でもさぁ、そう簡単じゃないんだよ(笑)しかもさぁそんなの意味わかんない(笑)

ぶっちゃけ自分ではどうにもならんのだよ、実のところ、マジで。そんな時、頼むのさ。

「本当の姿を見せてくだい」

と。そう頼むこと自体、今は本当の姿じゃなくて本当の姿は別にあるって前提になって、すでにズッポリと自分で作った自我の状態であることから抜けてるってことなんだ。

もっと言えば、光に足をかけたみたいなもんで

「あ、ない闇を
   あると思っちゃってました」

って

テヘペロした状態

なんだよ。つまり、神が創ったものになるわけだから初めてその時上の人レスキュー隊が手を差し伸べられる。つまり

光を当ててくれる

のだ。

そうすると闇(非実在)は自動的に消滅する。

上の人って

      あ、便宜上
     上の人って言ってるけど(笑)

手段を選ばないんだよね。光を当てるためにいろんなことしてくる。

だからどんな風に光が当たるかはさっぱりわからないけど、心から闇が消える時、光に照らされた時なんだよね。それは心に自然に起こるかもしれないし、誰かや何かの出来事を通して起こるかもしれないし、それはわからないけど、とにかく起こる。

光を遮ってるものがあまりに分厚い時は、何も起こらないように感じるどころか、むしろもっとしんどくなることもあるかもしれない。

そんな時も安心してけろ(笑)

「この光を遮る分厚いヤツなくしてもいいかなぁ」

って尋ねられてるだけだから。

しんどくなったら

ああ、もうこれいりません!」

って、そうだ、そうだ、これ持ってってもらうんだ、って思ってくれたまえよ。

そうやって心の中の障害物をどんどん持ってってもらううちに、光が遮られずにすうっと当たるようになるから。

奇跡は誰もが持つ権利
しかしまず清めが必要である

奇跡の道 -兄イエズスの教え-

とは「奇跡のコース」の中の言葉。どんどん持っててもらう、それが清め。私が自分がしんどくなると祈るのは

ああ、もうこれいりません!

って思いと共にであり

「いらないから私のも、みんなのも持ってってちょーだい」
(ピアノ売ってちょーだい風に)

って、そんな気持ち。だから祈ってるとすーっと心が落ち着いてくる。

もちろん次の瞬間から、心晴れ晴れさ、わははは!とはならない(笑)
ただ、光差す瞬間を感じる。

光が当たらない闇に戻ろうとしちゃうのが、人間だけど、戻る度にまた光を当ててもらう。心が晴れた5分後にまた心が曇ることだってある(笑)

そうしたらまた5分後にやるんだよ( ̄▽ ̄)

その繰り返し。ひたすら繰り返し。

お掃除はこまめにね(笑)
そう、心のお掃除ね。

そうしているうちに、闇と呼んでいるエリア(笑)が狭くなっていく。心で言えば、自我がドヤ顔で行く恐れや不安もそうだね。

人のことを祈るとは、自分のことを祈ること。人を通して私はいつも救われる。心はひとつなのだから。自分のことを祈るよりも人のことを祈った方がとても心地いいんだ。

私は最初そういう話がさっぱりわからなかった。

この記事も読んでわからなくていい(笑)

ただ、ふーん、ってここまで読んでくれてありがとう。

心の闇をなくすために闇をいじらない。ない闇をいじらない。ないからどうにもならない。

ただ、光を当てよう。光を当ててもらおう。

光が当たっていない部分に光が当たれば、そこにもはや闇はない。この話がさっぱりわからなくて、まずはやってみることから私は始めた。

本当の姿を見せてください

そう頼むことから。

   

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