言葉の群れ

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ねぇ、死んでくんない?

思い出すのです。

もうずいぶん前、まだ小さいアンナぽを連れてローカルテーマパークに行って、ランチだったかなぁ、とにかく外のテーブルで飲むだか、食べるだかしてた時のこと。

隣のテーブルにある家族がいました。お父さん、お母さん、お兄ちゃん、弟。
お父さんとお母さんはビールを飲んでいました。

お母さんの声が聞こえてきたんです。

「ねぇ、死んでくんない?」

あまりの衝撃に思わずそちらを見ました。

お母さんはお兄ちゃんに話しかけています。

「あんたがいるとさ、ムカつくんだよねー
   頼むから死んでくんない?」

お兄ちゃんは黙ってうつむいています。弟も黙ってうつむいています。お父さんはニヤニヤしながらビールを飲んでいます。

聞こえてきたその言葉を聞いて、体の中がぎゅーっとなりとても苦しくなりました。心臓がドックン、ドックンとものすごい速さで脈打っていたのを覚えています。

「早く死ねよ」

お母さんはそうやってお兄ちゃんに同じような言葉を延々と投げ続けます。止めようとしたものの、もしそんなことをしたら、お兄ちゃんが後になって余計にひどい目にあうのでは…そんなことを考えて結局何もせず、できず、立ち去るだけでした。

それからもう10年以上が経ちました。

私は今でもその家族を思い出すのです。

出来事として決してない方がいいことです。そのような目にあう子供がいてはいけない、絶対に。

でもね…

私自身が、そのお母さんのように死ねと言ったわけではなくとも、昔、アンナぽに手を上げ、怒鳴り散らし、苦しめていたことがあって、そのお母さんと同じだと思ったんです。

だから、そのお母さんがどんなにか苦しいだろうと思ったんです。制御のきかない自分のままに言葉を発し振舞うことしかできず、自分の中の魔物が為すがままにすることしかできず、罵詈雑言でしか「何か」を伝えることができず、どれだけ苦しいだろうと。苦しいことがあまりに苦しく、感じることをやめてしまい、そこにいるのだろうと。

そして、また最近、その家族のことを思い出しました。私はもう以前の私ではありませんでした。

祈りました。

神と、聖霊と、キリストである私とあのお母さんとお兄ちゃんの名において
あの家族全員の名において
私たちの間で起きたすべての出来事が癒されますように。私たち罪はなく、いまこのままで完全な愛であり、心は完全に自由です。

と。

この親子を目撃した時の私はあまりにも無力でした。自分が無力だと信じていました。

けれど、奇跡のコースに出会い知ったのです。このお母さんも、お兄ちゃんも、この家族全員の心が絶対に救われると。そうとりなされる道があることを。そのお手伝いができることを。

にわかに信じられないかもしれません。 でも、本当なの。私も救われたように。

奇跡のコースにこのような言葉があります。

奇跡は始めであり、また終わりでもある、したがって、時間的な順序を変える。再生、つまり、生まれかわるということを肯定するのが常であって、こうするのは後退するように思えるけれども、本当は前進することだといえる。そうした奇跡は現在において、過去をもとどおりにするのであり、したがって未来を解き放つことになる。

奇跡の道 -兄イエズスの教え-

最初に読んだ時は「はい???」ってなったけど…学び続けて、何年も、何年も、経ってから、すーっとしみてきた。

過去をもとどおりにする」

その「もとどおり」の「もと」とは、ああ、そうだ、愛なのだ、と。「もと」が「愛」になった時、そこから派生する未来は愛でしかのだと。そして、それは私も十分に体験してきました。そう、体験してきたのです。

ケーキを食べたらその体験から、美味しい、甘い、と言えるように、過去がもとどおりになった結果を私は十分に体験してきて、そして、こうして書いています。

私たちには終わらせたいことが多過ぎます。ない方がいいことが多過ぎます。それを終わらせ、それをなくし、望むことさえしなかったそんな世界へと行けることを、私は教えてもらいました。それを学び続けています。

かつて歩くナイフのようだった私。切りつけて、傷つけて、文句あるかとさらに尖って、心の行き場を失った。行くところも、戻るところも、なかった。

攻撃は愛を求める叫びである

奇跡の道-兄イエズスの教え-

奇跡のコースにあるこの言葉を読んで、私を責めこそすれど心が痛いことなど誰もわかってくれなかったあの日、静かに泣いたのでした。ええ、そうなんです、と、認めながら。もう本当にイヤだ、終わらせたい、と。

誰かが祈る時、10年以上前のあの親子が、時間という概念を超えてとりなされ、もとどおりになることを信じて私は祈っています。そして、信じるだけでなく、必ず奇跡は起こると思っています。私も誰かの祈りによってとりなされ救われたように。

まだ見たこともなければ聞いたこともないとはいえ
確かに存在するといわれる世界があなたと共にやってくる

跡の道-兄イエズスの教え-

奇跡のコースのこの言葉に出会い、知らなかったし、誰も教えてくれなかったけれど

求めていた「何か」がきっとある

そんな感覚を覚えました。私はずっとそれを待っていました。待っていると思いもしないまま、待っていました。

いつかの遠い約束をしたすべての人に。

聖霊があなたに奇跡を差し伸べるという方法で
解決できない問題など何ひとつない

跡の道-兄イエズスの教え-

   

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