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真実は心からの願いの中にある

ずーっと違和感があると感じてたことがある。
けれど、あえてそれをアウトプットすることもなかった。

たとえて言うなら、それは隠れキリシタンが名乗りを上げるような(笑)
そういうものなのだ、それが正しいのだ、そんな世の中の風潮に、反旗をひるがえすような、波風を立てるような、気がしていたからだ。

それこそ隠れキリシタンじゃないけど、一部勢力に吊るし上げられるんじゃ… (映画じゃねーし、考えすぎだっちゅーの・笑)とかね。
人は 「狂気投資信託」に投資している時、ロクでもないことを考える。

ちなみに 「狂気投資信託」って例えは、私の奇跡のコースの師匠、コオさんこと川上貢一さんが時々使ってて、とっても気に入ってる。

違和感があると感じていたこと、それは、スピリチュアルな話題に出てくることがある、これからこの世界が二極化していく、という話。
アレ。

これからは、波動が高い人と波動が低い人、ポジティブな人とネガティブな人、エネルギーが軽やかな人とエネルギーが重たい人、前者はどんどん幸せになる、後者はどんどんつらくなる、それぞれ別々の電車に乗って行き先が違うようなものでどんどん二極化していく、いわゆる、そんなアレ。

そんな話を目にして

「えええーっ!ひゃだ!
 私幸せ行きの電車に乗りたい、乗れるかしら?」

いい感じになると

「うん、私は
 幸せ行きの電車に乗れてるぞ」

どん底ズンドコになると

「あああ、私は不幸せ行きの電車に乗ってしまってる…」

なんてあれこれ考えて、それだけで一喜一憂しヒジョーに疲れてた。
 ↑
アホ・笑

それに

「私はいい感じ、あの人そうじゃない
 あの人はいい感じ、私はそうじゃない」

そんなことまで考え、前者なら悦に入り、後者なら自己嫌悪に陥った。

駄菓子菓子!

そこで自問自答。

「いいのか?
 それでいいのか?
 お前はそれでいいのか?」

そういうもの、だからじゃなく

お前はそれでいいのか?」

と。

それがいい悪い、とか、合ってる合ってない、とか、正しい正しくない、とか、そういうんじゃなくそう

「お前はそれでいいのか?」

と。

結論は

それでよくないっス、イヤです、そういうの」

という気持ちだった。
だから奇跡のコースに惹かれたんだよなぁ。

前出のネタを否定する気はない。
正しいか、正しくないか議論する気もない。
そういうものだと信じればそういうものなのだから。

ここで大切なのは

ただ、純粋に自分がそういう世界に生きていたいか?

ということ。
生きていたいかって聞かれても

そういう世界なんだからしょうがないじゃん

ってのがすごーくイヤで、イヤで、イヤでもぉほんっとイヤで。
このことに限らず、どんなこともそう、この世のあらゆること、そういうもんなんだからしょうがないじゃん、ってのがすごーくイヤで。

どんなにイヤでも、そういうもんでしょうがないんだから どうしようもないじゃん

ってのが

絶叫スペクタクルな感じでイヤ

だったんだ。

しょうがない、じゃない、しょうがある、がいいって。

またつまらん画像を出してしまった…
 ↑
またつまらんものを斬ってしまった…の石川五右衛門@ルパン三世風にわびさびたっぷりに読んでください。

出口のないホラー映画の中にいて永遠に救われないみたいで。

それをあっさり

え?
そうじゃなくて全然いいよ

って言ってくれたがの奇跡のコースだった。
それを知った時の私はまさにこう。

マジで!? ((((;゚Д゚))))
やったーーー!!!ヽ(*´∀`)ノ

顔文字を駆使してお届けしています(笑)

私はいい感じだけど、あなたはそんなだからそっちよね、とか。
私ばかり薄暗い場所にいて、あの人は日の当たる場所に…とか。

わーーー
絶対イヤだーーー

どっちも幸せじゃない。

自分の心の中をよくよくのぞいてみた。
どうあることを願う?

キレイごと抜きでみんなが幸せなのがいい。
世界丸ごと、全員、だ。

ムカつくヤツも、ぶん殴りたいヤツも、それってどうなの?ってヤツも、本当の姿はそうじゃないことを学んだし。
それすなわち、こんな自分なんて…と思ってしまうようなみっともない、見苦しい、カッコ悪い、人としてどうなの?なダメダメって思う自分も、それは本当の姿じゃないってことで。
じゃあ、それを見せてもらおうじゃないのって頼んでみたら、事実、それを見せてもらってきたよ。
いろいろな形で。

本当の姿

ってやつを。

奇跡を見た。

それは、いつも、いつも、いつも 私をとても幸せにした。
時に泣けるほどに。
だから、理屈抜きにわかったんだ。
それが「本当のこと」だって。

みんな同じじゃん、みんな愛なんじゃん
人は自分じゃん、 みんなひとつじゃん
自我の思考やそれによって表現することで

みんな違って見えるけど、結局みんな同じじゃん

って。

だからみんなで幸せになるのがいい。
つか、それしか行き先がない。
誰も裁かれなくていい。
裁かれる必要がない。
なぜなら私たちは神の子だから。

もともと神の子で愛でしかないのに、いろいろあるように見えるのは、自我が作った神から分離したこの世界に自分がいると錯覚してるから。

それを信じてしまえば、二極化とか言えるけど、それがないとしたら、いいも悪いも、高いも低いも、重いも軽いも、上も下も、なんの違いも差もない。
ゆえに、何の判断も、何の裁きも、そこにはないのだ。

違いがあるからそれは分離し、判断や裁きが生まれる。

本当はみんなひとつってよく言うじゃん。
奇跡のコースでも言う、心はひとつ、と。

神の不在は、愛の不在。
自我は私たちに隠し通した。
私たちが神の子であり愛であるということを。

神の不在、愛の不在の世界を、自我の思うように成り立たせていくには、私たちが愛では、私たちが神と同じでは、困るのだ。

もっとシンプルに言う。

何を望むのか?

二極化して一方はどんどん幸せになり、一方はどんどんつらくなる
キライなあいつは、ムカつくあいつは、闇に向かってあっち行け

それを望むのか?

自分だけよくて、他の誰かはよくなくていい、仕方ない、そういうもの
その逆で、みんな幸せなのに、自分だけはよくない仕方ない、そういうもの

それを望むのか?

みんなひとつで、みんなが幸せになる

それを望むのか?

自我の願いではなく心からの願いは、それが内側に灯った時、穏やかでやさしくこの上なく心地よい。
なぜならそれは愛だから、真実だから。
その感覚と共に選ぶのは何か?

真実は心からの願いの中にあると私は思ってる。

私たちは、自我の声を自分の気持ちや考えだと思い込んでる。

かつての私のように。
そして、今もそうなる私のように。

自我の声が語る世界は、常に分離があり、常に限界があり、だからこそなんらかの意味づけや理由が必要で、そうすることでそれを正当化してあきらめることしかできなくて、あきらめながらそこに、身を置くことしかできなくて、行き止まりの世界から出られずぐるぐる回るだけ。

だから、ここで聞く。

そんな世界に住みたいと願う?

それはイヤだ、そう心から思う時、扉は開く。
待っていたよ、と。

そういうもんだからしょうがないって自我は言う。
騒がしいけど自我には言わせておけばいい。
相手にしなければいい。

自我の言うことでなく、真実が知りたいなら、それを求めるなら、必ずそれは目の前に現れる。

それが真実かどうかは心ですぐにわかる。
心が安堵するから。
平安がそこにあるから。

そんなの無理…そう思ってたことが、そうではないと証明される日が来る。
自我はそれをかき消すのに必死だけど、隠されはしても消えはしない。

そんなこと考えてた先日、コオさんこと川上貢一さんのメルマガが届いた。

The ego says that the world will become polarized.
The Holy Spirit asks you to think carefully whether your wish is to polarize the world.

世界は二極化していくだろうと
自我は言う
あなたの望みは
世界を二極化させることだろうか
よく考えてみてほしいと聖霊は尋ねている

川上貢一さんメールマガジン「インナーメッセンジャー」

聖霊がまたいい仕事した。
ものすごい安堵でちょいと泣きそうになった。

真実は心からの願いの中にある。
その心の声に従う。
何もかも、もうあきらめなくてていい。
もうひとりでなんとかしようとしなくていい。

   

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