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神様ごっこ

なぁんだ、だから絶対に大丈夫なんじゃん、理屈抜きにそう思った。

仏壇のお水を替えようとすると、コップの中に小さい黒い蜘蛛が浮いていた。動いているので生きているとわかった。

蜘蛛は水の中に落ちても、体毛のおかげで沈まないらしいけど、呼吸器がお腹の方にあり、放っておくと窒息して死んでしまうそうだ。浮いてても溺死するんだな。流しに流してしまうのも忍びない。

コップから蜘蛛をつぶさないように、そっとつまんで出し、逃げないように手のひらで包んだ。ふわっとしたぐーの感じ(笑)庭に逃がそうと窓を開けガタガタやってると、ふわっとしたぐーの手の隙間から蜘蛛が逃げた。

家の中に逃げても蜘蛛にとってはろくなことがないだろう(笑)ま、勝手にそう思っただけだけどね。巣を作っても壊されるし、そもそも家の中に蜘蛛の巣にかかる餌はいない。やっぱり外に逃がそうと逃げた蜘蛛をまたつまもうとするけど、蜘蛛は必死で逃げる。

そりゃそうだ。蜘蛛にとってはとんでもなく酷い目にあってることになるだろう。水に落ちて逃げられずもがいていたら、よくわからんが水から出られて、出られたと思ったら、今度はデカイ謎の生物に追いかけられて。ただ、ただ、恐怖だろう。

私はと言えば、外に蜘蛛を逃がしたいだけで、そのためには蜘蛛を捕まえなければならなくて、でも蜘蛛にとって私のしてることは恐怖や脅威以外の何ものでもなく、抵抗すべきことであり、私の意図など伝わるよしもない。蜘蛛と話せればいいのにって思った(笑)

逃げ回る蜘蛛をなんとか捕まえ、またふわっとしたぐーで運ぶ。今度こそ窓から外に逃がすことに成功した。

しばし窓の外を見てとても楽しい気持ちになった。あの蜘蛛は私たちなんだな、って。

私たちはあの蜘蛛のように、助けようとして手を差し伸べられているのに、恐ろしいことが、酷いことが、大変なことが、起こっていると思い、必死で抵抗するんだ。信頼しちゃいけないと逃げるんだ。自分が正しい、って。

そして、やがて窒息する水の上で最善のことをしようとしたり、逃げられなくてももがいたり、ようやく水から出られても、本来自分がいる場所から出されようとすることを 拒んだり。

そもそも助けられようとしていることなどわからない。わかるはずもない。蜘蛛にとって自分に起こっていることは、大変、酷い、恐ろしい、そんなことでしかない。そうとしか思えないだろう。最善のことがなされようとしていても (蜘蛛の例えで言えば私の勝手かもだけど) そうだとはまったく思えない。

それは神と私たちのよう。

私たちは、私が出会った蜘蛛だ。神によって最善のことが なされようとしているのに、まったくそう思えない。大変なことが、酷いことが、恐ろしいことが、起こっているとすっかり思い込み、逃げ回ったり、抵抗したり、それを排除することに、それをなんとかすることに、一生懸命だ。

でもって、そのままそこにいても、そのうち溺れるのに、溺れる場所でその場しのぎの何かをして、ちびた満足に浸ったり、時にはうまくやれたと思ったりしてるんだろう。そこに解決はないのに。ないのにね(笑)

愉快だ。あの蜘蛛と出会うことによって、私は神さまごっこをさせてもらった。

本当のところ、外に逃がされた蜘蛛が幸せだったかどうかわかりはしない。まぁ、それは置いておこう。神さまは蜘蛛を追いかける私のように、逃げとる、逃げとる、って思いながらも、助けてくれようとしてるんだろな。

そして確信。だから、絶対何があっても 大丈夫、って。だって、私 あの蜘蛛を助けようとしてたもの。なんとかそこから出そうと。

神さまごっこをしてわかった気がした。神さまがしようとしてることが。そして、蜘蛛を助ける私はしくじるかもしれないけど…

私たちを助ける神さまは絶対にしくじらない。絶対に

神さまが 助けやすい自分でいよう、いていいんだ、助けてーって大の字で自分投げ出していいんだ、それが奇跡のコースに書いてある助けてもらう方法であり、それは本当のことなんだ、って心から思えた。言い様のない安堵感。

心を変えてもらえた。聖霊、またいい仕事したな(笑)

   

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