
奇跡の道 学習書|二部【十三 奇跡とは何か】
奇跡とは訂正することである。それは創造するのではないし、実際のところ何も変えるわけではない。ただ荒廃状態をながめて、心にそれが見ていることは間違いだと気づかせるにすぎない。それは誤りを取り消すが、知覚することを越えていこうとはしないし、許すという役目を超えようともしな い。したがって時間の範囲にとどまっている。とはいえ、それは時間を超越した状態がもどり、愛が目覚めるための道を開くことになる、というのもそれがもたらす穏やかな療法のおかげで恐れはきっとい つの間にか消えるからである。
奇跡には恵みの賜物が含まれている、それは一つものとして与えられ、また受け取られるのだから。こうすることでそれはこの世界が従わない真理の法則を例証しようとする、というのもこの世界がそれのやり方を全く理解できないからである。奇跡はそれまで逆さまに知覚されていたものを逆にすることで、そこに現われていた奇妙な歪みをなくす。こうして知覚は真実であることに目をひらく。今や許しはもっともなことだと見なされる。
許すことで奇跡が生まれる。キリストの目で思いやりと愛をこめて見つめるものにみな奇跡がもたらされる。キリストの見方によると知覚していたことは間違っているとわかり、のろいをもたらしそうだったことが祝福をもたらすことになる。許しの百合の花の一本いっぽんが世界中に静かな愛の奇跡を差し伸べる。そして一本ずつ、この上なく清らかな光と限りない喜びのうちに、御創造主と創造されたものへ捧げられた普遍的な祭壇の、神の御言葉の前に置かれる
奇跡というものは先ず信念に基づいて受け入れられる、なぜならそれを願うということは、心に、見えないものや理解できないことを思い描いてみようとする心構えができているという意味だからである。しかし信念は、それが基づいているものは本当に在るということを示す証拠をもたらすようになる。こうして奇跡はそれにたいするあなたの信念は正しいとし、それはあなたが以前見たのよりももっと本当の世界、あなたがそこにあると思っていたものから贖われた世界に、基づいていることを見せてくれる。
奇跡は、飢えと乾きを覚える生き物が来ては死んでしまう、乾いたほこりっぽい世界に、天国からの癒しの雨のように降りそそぐ。今ではそこに水がある。今やその世界は緑におおわれている。そして辺り一面、命の兆しが芽を出し、生まれたものは決して死なないと教えてくれる、命あるものには永遠の命があるのだから。
奇跡の道 ー兄イエズスの教えー イエズス・著、田中百合子・翻訳
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「奇跡の道 -兄イエズスの教え-」に収録されているこの学習書は、翻訳者の田中百合子さんに許可を得て掲載させていただいています。
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