
奇跡の道 学習書|一部【第八十一課】
今日、復習するのはつぎの二つの想念。
(六十一)自分がこの世の光りである。
この世を明るくする役目を与えられている自分は、なんと神聖なのだろう。自分の神聖さをまえに、じっとしていよう。そのおだやかな光のなかで、自分の葛藤をみな去らせよう。その平安のうちに、本来の自分がだれなのか思い出そう。
特別な困難が持ち上がったように思えるときに、この想念を具体的に適用すればたぶんつぎのようになる。
自分のうちなるこの世の光を不明瞭にさせないでおこう。
こんな外観を通り抜けて、この世の光を輝かせよう。
こんな影はその光をまえにして消え失せることだろう。
(六十二)許しは、この世の光としての自分の役目。
自分の役目を受け入れることで、自分の内なるその光を見るようになる。そしてこの光のうちに、自分の役目は目の前にはっきりと全く明瞭になる。自分がそれを受け入れるのは、自分の役目が何なのか気づいたうえでのことだというわけではいない、自分にはまだ許しが理解できていないのだから。しかし、その光のうちにそれをあるがままに見るようになると信用することにしよう。
この想念を使った具体的なかたちはつぎのようになるだろう。
これに助けてもらって、許しが何を意味するのか習うことにしよう。
奇跡の道 ー兄イエズスの教えー イエズス・著、田中百合子・翻訳
自分の役目と自分の意志を別々にしないでおこう。
自分にはこれを相容れない目的の為には使うつもりはない。
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「奇跡の道 -兄イエズスの教え-」に収録されているこの学習書は、翻訳者の田中百合子さんに許可を得て掲載させていただいています。
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