奇跡のコースとは

A Course in Miracles

それは、あの人から私たちへの、長い、長い、手紙のようでもありました。

奇跡のコース A Course in Miracles

奇跡のコースとは

奇跡のコースは書籍であり、1976年にアメリカで出版されました。
現在では20ヶ国語に翻訳され、累計販売数は200万部以上、原書を含めた関連書籍の発行部数は累計1000万部を超えています。
日本で「奇跡のコース」「奇跡の道」「奇跡講座」などに訳されるその本の原題は「A Course In Miracles」であり「ACIM」とも呼ばれます。

原題の「Course」は英語で【講座】【講義】という意味であり、つまり、奇跡のコースは【奇跡の講座】ということになります。

1965年、アメリカ・ニューヨーク州コロンビア大学臨床心理学教授助教授ヘレン・シャックマン女史が、イエス・キリストから届いたメッセージを書き留め始めます。
それを同大学臨床心理学教授ウィリアム・セットフォード氏が協力する形で編集、児童心理学博士ケネス・ワプニック博士が校正、7年続いたその作業ののち書籍化されました。

それが奇跡のコースであり、イエス・キリストから直接ガイダンスを受け取る本と考えてよいでしょう。

ナビゲーションシステム

奇跡のコースは、ある意味、ナビゲーションシステムです。

車でどこか知らないところに向かう時、ナビゲーションを使いますね。
目的地がどこにあるかも、そこへの道も行き方も、わからないからです。
目的地を設定すると、ナビゲーションはそこに行けるように誘導してくれます。
場所も道も行き方もわからなくても、ただ誘導の通りに進むだけで到着できます。

その時に大切なのは、誘導の通りに進むこと。
誘導に従わなかったら、誘導を自分の解釈で変えたら、目的地には到着できませんね。

また、目的地まで自分で行くのではありません、自分が乗った車が行きます。
自分ですることは、目的地を決めて、そこに行くという意思を持って、運転すること、誘導に従い走らせること、だけ。

ナビゲーションと車、それがあれば行きたいところに行けるというひとつのたとえです。

奇跡のコースをそんなナビゲーションにたとえるとしっくりきます。

目的地を明確にさせてくれて、そこに連れていってくれます。
目的地がどこにあるか、どうやってそこに行くか、わからなくていいのです。
また、自分で行こうとしなくていいのです。

私たちのすることは、誘導に従うことだけ。
そうすれば目的地に着きます。
ナビゲーションというシステムですから。

そして、自分で行こうとするのをやめます。
車のように、自分を運んでくれるものがあるからです。
それが自分を運べるようにするだけ、車の運転をするように。

私たちが目的地に行くために必要なのが「道を示すナビゲーション」と「その道を行く車」だとしたら、奇跡のコースが「ナビゲーション」であり、聖霊が「車」です。

しかも高性能ナビゲーションシステムです。
車のナビは壊れることも狂うこともありますが、神さまナビには一切それがありません。

それぞれの人が、出会う時に出会う奇跡のコース。
それがあなたの最高の人生のナビゲーションシステムになることを願って。

あなたに一切の罪はない

私が奇跡のコースを学び始めるきっかけは、その中のある言葉でした。

信頼している人が伝えているからと本を買ったものの、読む気になれずしばらく放置しましたが、たまたま手に取ってパラパラ開くと、あるページのある言葉に目が行きました。

「あなたに一切の罪はない。それは神によって保証されている」

涙が溢れてきました。
理由はわかりません。
ただ、ただ、泣きました。

悲しい涙ではありませんでした。
何かが解けるようなあたたかい涙でした。

何が何だかわからなかったけれど、でも、私に何かが起こったことだけはわかりました。

どうして罪がないのか、こんな私に。
心がざわめき、私は奇跡のコースを学ぶクラスのドアを叩くことになりました。

帰る道

私は奇跡のコースが大好きになりました。

奇跡のコースを学ぶと、それが伝えていることは、今まで生きてきて知る限りのこととは何も一致しませんでした。
むしろ真逆でした。
それまでの観念がすべてひっくり返るようでした。
そうだったらいいけれど、そんなわけがないじゃないか、そんなことばかりで。
時には腹立たしく思えることさえありました。

けれど、もしも、人生に奇跡のコースというナビゲーションシステムをセットするなら、そこに書いてあることが本当なのだと次々と証明されていくことでしょう。

奇跡のコースは、信じるように、とは伝えていません。
信じなくていい、信じられないだろうからそれを体験させよう、そう言っています。

そして、本当はこんなのイヤだと思っていることから、もう終わらせたいと思っていることから解放され、本当に欲しかったものにたどり着くことでしょう。

これは、帰る道なのです。

劣等生で行こう

奇跡のコースは【奇跡の講座】、つまり奇跡についてを学び、そして実践していくものになります。

私が奇跡のコースを学び始めた頃、まったく意味がわかりませんでした。
テキストを読んでも眠くなるだけ。
クラスに参加しても、居眠りする、お休みする、そのうちやめてしまう、と、この世でいうなら、言わば劣等生でした。
そして、結局、奇跡のコースから離れました。

数年後、私はまた奇跡のコースに触れることになります。
真面目に学習もせず、まったくわからず放り投げたのに、心のどこかでは奇跡のコースを忘れてはいなかったのです。

(忘れられるはずがないことを後になって知ります)

そして、後から気づいたのは、奇跡のコースを離れている間に体験していたことが、二度目の奇跡のコースとの出会いから始まる新たな学習を深めるものだということでした。

奇跡のコースの視点から行くと、劣等生というものは存在しません。
この世でいろいろな体験をしていると思い込んでいる神の子が在るだけです。

奇跡のコースの学習は、この世での通例である理解して行う学習とは異なり、理解せずとも、わからないままでも、その学習は確実に進んでいき、私たちを変化させます。

この世で言う劣等生でいいのです。
だから私はここまで来られました。

奇跡のコースにいざなわれたすべての人へ。

これからはひとりではありません。
大いなるものと共に行くことになります。
もうひとりで苦しむことはないのです。

どうぞそのままのあなたでいらしてください。
「a point of no return」、もう戻ることのない地点へ。

あなたに一切の罪はない。それは神によって保証されている。