Emi Ozeki Website, 大関恵美ウェブサイト

エイミーからのメッセージ

 

このページに来てくださってありがとうございます。

わかりやすい肩書きがないこともあり、よくこう聞かれます。

「エイミーさんは何をやってる人なんですか?」

10年以上続けてきたヒプノセラピー(催眠療法)と心理カウンセリングをやめて、肩書きを手放した頃から、私の人生は動き始めていました。

 

人生の午後の始まり

 

ヒプノセラピストという肩書きを持つのをやめた当初、自分で決めたことながら、それをとても苦しく感じました。

長年、ヒプノセラピストとして生きてきた私は、肩書きと何かのスキルを提供する職業でないといけない、通用しない、認められない、仕事も来ない、そんな想いがあったのだと思います。

当時、そうした選択をしたのは、自分の方向性が定まらなくなってしまったから。

それまでしていた仕事をしたくなくなりました。同時に、したいこと、好きなこと、どうやって生きていったらいいか、すべてわからなくなりました。

理由はありません。説明もつかず、ただそういう気持ちになってしまったんです。

何にでも理由を見つけ出し、それを正当化することに慣れていた私は、理由のない「もうしたくない」という強い衝動と何もわからないということに困惑しました。

それでも、急に仕事を辞めて収入がなくなってしまっては困るので、こんな気持ちも一時の気の迷い、と自分に言い聞かせながら続けましたが、不思議なくらいパタリと仕事が来なくなったのです。ただのひとつも。自営業の私は、まるで天からリストラされたような気分でした。

けれど…実はどこかで、ほっとしている自分もいたのです。これでもうしたくないことをしなくて済むんだ、って。経済的困窮にそんな安堵もすぐに吹っ飛んでしまいましたが。

 

人生の崩壊と暗黒の4年間

 

それまでの私は、これはこうだ、と強く信じるものを持ち、起こる出来事の理由や原因を探すのが得意で、解決策も知っていました(知っている「つもり」でした)。

そんな自分が好きだったし、そんな生き方が、よい、正しい、と信じ、進んできました。

だから、それまで通り、何もわからくなった自分を、分析しましたし、そこから抜け出すために、以前の解決策を試みようとしましたが、精神のよどみは増していくだけで、その時、私はすでに、なんの理由もなくそれまでの生き方をしていくことができなくなっていました。

そもそもの始まりは、恐らく2007年頃だったと思います。

それまで自分が正しいと思っていたこと、よいと思っていたことに激しい違和感を感じ、それを境に、考え方や生き方、人生やキャリアにおいて構築してきたもの、自分の中にあったほとんどのものが、もはや、自分にとって素晴らしいもの、価値あるものではなくなってしまったのです。

今までやってきたことはしたくない、でも、何をやったらいいのかわからない…丸裸のまま世界に放り出されたような気持ちのまま、生活のために、チラシ配り、製菓工場や郵便局のパート、手当り次第にやりました。お金の心配をするがあまり、娘の学校の体操服を買うことに躊躇する自分が悲しかった。アパートの更新費用が払えずに借金をしたこともあります。

精神的にも追い詰められた毎日。ただ髪振り乱して働きました。精神的にも経済的にもオシャレするゆとりなどありませんでした。

イキイキと輝く人、幸せそうな人、うまくいっている人を見るのがつらかった。妬みもしました。同時に道を見失って世の中の底辺にいるように感じる自分を責めもしました。

まるでそれまでの人生が崩壊したようでした。振り返って「暗黒の4年間」と私が呼んでいる時期です。

ほとほと疲れ果て、心がボロボロになり、何もわからなくなったそんな中、2011年に書籍「奇跡のコース-ACIM-」と、映画「ザ・シフト」に出会います。

それによって、自分の中で起こったことが何だったのか、その答えを見ることになります。

 

変容の旅

 

何もかもがうまくいかず、出来事は悪い(と感じる)方へどんどん流れていき、つらいことばかりの毎日でした。希望のかけらもなく、自分がただ呼吸をしている肉の塊のように感じました。一生このままで終わるのではないかとさえ思った、そんな、地を這うような4年間。

それは、不運や罰や仕打ちではありませんでした。また、私自身が堕落して、ダメ人間になったわけでもありませんでした。

自分は何もおかしくなかった…

そう、私は変容の旅をしていたのです。

映画「ザ・シフト」でも引用されている、私の大好きなユングの言葉をここに。

 

「人生の午後は予期せぬ時に訪れる。

 しかし、最初のうちは
 それまでの心理と価値観が
 正しいと信じている。

 だが、人生の朝と午後では
 プログラムが異なる。

 人生の朝に輝いていたものは午後に輝きを失い
 人生の朝の真実は午後に偽りとなる」

 

この言葉を目にした時(映画の字幕)涙が溢れました。子供のように声をあげてわんわん泣きました。

自分に起こったことは間違いではなかった、人生の午前から午後へとシフトする過程を体験していたのだ、無条件にそう思うことができたのです。本当に、本当に、うれしかった…

人生の午前、それは自我的生き方であり、人生の午後、それは魂に添った本質的生き方と言われています。

確かに、私は、それまで価値を感じていた(輝いていた)ものを、もう自分のものにしておくことができなくなっていました。それを自分のものにしておくのは、自分への偽りだったのです。

自分にとっては、すでに偽りであるものを、もういらないと思いつつも、他のものを知らないがゆえに、しがみつきながら、何かが違う、何かがあるはず、と感じていた私は、4年の歳月をかけて、いらないものを削ぎ落とし、いつか出会いたいと感じていた「何か」への準備をしていたのだと思います。

私のどん底だった4年間が、どれほど恩恵に満ちた出来事だったのかを理解するのに時間はかかりませんでした。振り返ると、落ちぶれて荒れ果てたように見える体験は、実は、自分に帰る旅そのものでした。

もう自分のものにしておけなくなった観念や生き方、現実的選択を、自分の意図とは関係なく、まるで引き剥がされるような、そんな時間だったのですから。

 

暗く寒い夜の終わり

 

そして、喜びや幸せを感じるものが変わっていきました。

今、ここにいて、空が青いこと、風が、陽射しが、気持ちいいこと、木がざわめくこと…家族がいること、お布団があること、お風呂があること…

外側はないないづくしだけれど、「ある」とも思っていなかったものがそこに確かにあり、それそのものが豊かさであることを感じるようになりました。

現実はボロボロで変わっていないのに、なぜこんなにも幸せを感じるのだろう…不思議に思いました。そして、その幸せは、私がかつてどんなものでも味わうことのなかったものでした。

なにもないのにみんなある、そんな感覚。

立派であるために、認められるために、受け入れられるために、豊かであるために、困ったことにならないために、嫌われないために、固守してきたもの、とらわれていたもの、こうしなければならない、こうしてはいけない、そんなものがすべて崩れ去ったのに、私はかつてないほどの幸福感に静かに満たされていったのでした。

今まで、幸せになるために必要だと思っていたものは一体なんだったんだろう…

私を翻弄してきた、あらゆる感情の波でさえ、もう私を本当の意味で苦しめることはできないとわかりました。たとえそれがこれからも度々訪れようとも。

うまく説明できませんが、これが本当に欲しいものであり、私はこれを体験するためにここまで来た、そうわかったのです。わかるために理由も何も必要ありませんでした。ただ、わかったのです。

現象として起こることはどんなことであれ、それは私達をしかるべき場所へといざなうためのものに他ならないことを、体験を通して、理屈を超えて、自分の中に落とし込んでいったのでした。

その頃からです。 長い暗いトンネルの終わりにさしかかったように、感じ始めたのは。春の気配をなんとなく感じる、冬の終わりの頃のような感覚でもありました。それは、長い長い、暗く寒い夜の終わりでした。

 

人生の午後へのシフト

 

その頃から、それまで目にしなかった情報が入ってくるようになりました。それは、人の意識の目覚めに関するものでした。

また、新しい出会いや、新しい形での仕事、色々なものが人生に流れ込んでくるようになりました。

心躍るもの、欲しいもの、目指したい場所が明確になっていき、喜びと豊かさが増えていきました。

人生の午前を生きていた時とは違う世界でした。それから私は人生の午後をよちよち歩き始めたのです。    

シフトは一瞬ですべてが切り替わるのではなく、午前がフェードアウトし、午後がフェードインしてくる、そんな過程を通過するように思います。

私もいまだに午前の余韻に惑わされることがあります。色々な感情に翻弄されることもあります。それでももう二度と人生の午前には戻ることはできません。     

以前の私なら理解不能なこと。今も完全にわかっているかと問われれば、そうではないでしょう。

ただ、ようやくわかってきた、と言うか、腑に落ちているのは、私達は自分が思っているような世界には住んでいないということ。肉体をまとってこの世界を体験している魂であるということ。私達すべての存在は価値ある素晴らしいものであり、とても美しいということ。

そして、親や学校や社会は教えてくれることのなかった、大いなる摂理がそこにあり、それを忘れてしまっているということ。恐ろしい夢にうなされるように、幻想に惑って生きているけれど、真実を知って、それを終わらせるためにここにいるということ。

それを、悟りと言う人もいるし、目覚めと言う人もいるし、表現は色々だけど、私達はそこに向かって生きているということ。

それは、人生においての、最大最高の冒険。

その冒険をするのに条件は必要ありません。ただ、もし必要なものがあるとしたら、それは「勇気」だと思っています。人生の午前に慣れ親しんだ考えや行動を、午後の自分に切り替えていく勇気。自我の声に従うのではなく、魂の声に従う勇気。そのために訪れるものを体験していく勇気。     

自我としての自分から考えたら、時にそれはとても恐ろしいことです。

よくないことが起こるかもしれないという恐れに、これからどうなるかわからないという不安に、がんじがらめになって、一歩も動けなくなることもあるかもしれません。どうしたらいいかわからなくなることも。そして、思いとどまり、それまでと同じ道を行こうとするかもしれません。

それでも、見えない力は常にはたらきかけ、魂は私達をいざない続けています。

 

Life is beautiful

 

自分でも、その道を歩き、体験を重ね、感じることをつかんでいきながら、シフトした人生を生きるために、伝えられることをお伝えし、同じくその道を歩く人のためのお手伝いができたらいいなぁって感じています。

それは、私がずっと、誰かにしてほしかったことなのです。

あなたの魂は、何を伝えようとしているのでしょう。声なき声で何を訴えているのでしょう。そして、どんな旅をしているのでしょう。

その答えは、必ず見つかると思っています。「それ」が「起こる」時に。

人生は美しい。そんなふうに全く思えない時でさえ、私たちは想像を絶するほど愛されています。

最後まで読んでくれて本当にありがとう。同じ道を行くあなたと会えることを楽しみにしています。

 

人生の午後を歩き始めたあなたに

 

「自分が人生の午後にいるのか、それとも午前のままなのか、それがわからない」そうおっしゃる方もいらっしゃいます。

このページをご覧になっているということは、もう午後へと差しかかっているのだと思います。そうでなければ、きっと、ここにはいざなわれなかったでしょう。

それは、自分でも気づかないうちに起こっています。

人生の午後を生きるようになると、それまでの考え方、生き方が窮屈に感じたりします。当たり前だったこと、自分にとって正しかったこと、素晴らしかったものに、違和感を感じたり、どうしてもそれが今の自分にフィットしないジレンマや苦しさを感じることもあると思います。

ある時期を境に、それまでうまくいっていたことが急に失速したり、うまくいっていても何かが違うという感覚を覚えることもあるでしょう。何らかの出来事により、それまでの人生が強制終了されたかのような体験をする方もいらしゃるでしょう。

そんな時、人は困惑します。これからどうやって生きていったらいいのかと。

一見喜ばしくない状態に思えるそんな時、私たちには「シフト」が訪れていることがあります。

それまでの生き方を変える時が。

望む望まないに関わらず、それは訪れます。

生きずらさが「サイン」となって、行く別の道を示され、導かれています。そうして人は人生の午後へと足を踏み入れていくのです。

あなたにはどんな「サイン」が訪れているでしょう。

目的も理由もいりません。衝動を感じたら会いに来てください。それも「サイン」なのです。